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2005年 05月 16日 ( 4 )

 

家庭史研究の要諦について-4

【参考】-士族家庭史研究について-

旧士族出身というのは一つのシンボルであり、それ自体の意味は最早(もはや)ないが、その故に却(かえ)って稀少価値があることを知るべきである。平成の今、敢えてかかる試みに取り組むことには個人としての修養上大いに裨益(ひえき)するところがあると考える。

他方、世の中には旧士族と自認する人達は少なくなって来ており、また残念なことに、資料不足により分析が不十分であるのが実状である。

士族家庭史研究のほかにも、華族家庭史研究はより容易な筈であるし、庄屋・町年寄といった階層についても比較的多くの資料が残存していることだろう。最上級士族は華族に近く、下級士族は農工階級に近かったことを考えれば、それぞれの二者間の接触についての研究も可能である。それが出来れば、研究の緯(よこいと)は益々増えることになる。

尚、江戸時代、大工、桶屋、刀鍛冶職人等で、名人芸的な卓越した技能を持った職人は、扶持米(ふちまい)が与えられ、特別に遇されていた。藩関係の資料を調べれば、名簿が残っていることもある。

(註)
中韓の政府指導者に提案したい。日本の歴史教科書の内容にケチをつけるようなことはせず、その人民・国民をして、日本への敵愾心に費やすエネルギーを転じて、各の家庭史研究に集中せしむべし。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:14 | Comments(0)  

家庭史研究の要諦について-3

「四海之内皆兄弟」、「人類皆兄弟」というのは正しい。併し、我々日本人は日本国という「国」に生活しているのであるから、他国に対しては国益が最優先のことであることを国民としてもっと自覚した方がよい。高齢者については殊(こと)に然(しか)りとなす。

孰(いず)れにせよ、家庭史研究と称し、地方の一小藩の中の数家の家系図や自分の父祖の歩みをまとめ得たとしても、全体を括(くく)ることの出来る普遍的データに帰着することはあり得ない。寧(むし)ろ、テーマを絞り、一つの家の例として一旦事実を極小化し、あるがままに描写した上で、その中に某(なにがし)かのエキスがあるのであれば、抽出して、普遍的データの一部となすことは可能である。

個々の事蹟を単純に列挙することはたやすいことであるが、それと日本近現代史との間に如何なる接点、つながりを見出すのかは、研究に取り組む者の分析・判断及び熱意にかかっている。

(註)
曾祖父の代より古い父祖の事蹟を明らかにし得ない場合、酷な言い方ではあるが、判らないものは不詳としてありのまま子孫に伝えるほかはない。また、かつて身分制度の埒外(らちがい)に置かれた階級の子孫については、様々な姿で社会に吸収された。今尚、過去の精神的残滓があることを看取する。これらの人々については資料が欠落している以上、家庭史研究の対象とはなり得ない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:14 | Comments(0)  

家庭史研究の要諦について-2

小生はかねてより、家庭史研究の一つの結論が万民同胞であり、血筋よりも精神の方が重要であることを主張して来た。

例えば、5代前に遡り、母系を含む全ての先祖(32名)の生没年、戒名、事蹟を知り得る日本人が全国に果たして幾人いるだろうか。また、養子の場合は生家の調査も必要となる。上記の経(たていと)の本数は先祖究明の充実に比例するが、それを家系図により完全究明したところで、別に血筋の確かさを示したことにはならない。即ち、家系図が捏造、改竄されていないとしても、その存在だけで直ちに全ての記述に信憑性ありとは認め難い(例-庶子、妾腹)。

また、例えば、自分の父祖に朝鮮人がいることを全く知らない日本人がいることだろう。次に、16世紀キリスト教布教時に来日した宣教師の血筋を享けた日本人がいる。更に、明治以降多数来日した西洋人の血筋をもった人達もいる。或いは、後裔でそれらのことを知らされていない人達もいることだろう。それこそ父祖の智恵かも知れないが、探求心のある人は調査しておくべきである。

身体的特徴(眼や肌の色、骨格)、性格(激情型)、言葉遣い(発音)や発想が一般の日本人と明らかに異なる人は、父祖若(も)しくは女系の血筋に異邦人の血筋が入っていると考えた方が自然である。学校生活に馴染めなかったり、所謂「バタ臭い」子供についても、親の育て方でそうなったのではなく、一般日本人とは相異なる血統が入っていること、「隔世遺伝」が発現していることを先ず疑い、本当にそうであれば、学校教師・地域社会はそれなりの配慮を行うべきである。

かく看来れば、家庭史研究とは、比較的新しい幕末よりの父祖の歩みを除いては、不確定なる部分もまた多い。家庭史研究の一つの結論が万民同胞であるとするのは、こうした理由からである。各家の父祖の訓えに上下優劣がないと説く理由も、またここに存している。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:13 | Comments(0)  

家庭史研究の要諦について-1

連氏や宋氏が先般里帰りし、先祖の墓地に詣でることによって本籍が大陸にあることをアピールしたのは、記憶に新しい。

さて、誰しも自分の血筋は優秀で、祖先は立派な人間であったと思い込む癖や願望があるが、それは単なる誤解に過ぎないことも多いのではないか。それが集積して「国の歴史」になり、中韓のように手がつけられない妄想のレベルになると、他国の歴史に干渉するようになる。それは自国の歴史に自信のない表われである。

ここで、個人の視点での家庭史研究の方法について記してみたい。

家庭史研究とは、戦国時代よりの自分の父祖の事蹟を家系図(家系図がない家においては、幕末以来の血筋を除籍簿の謄本)により明らかにし、比較的新しい幕末よりの父祖の歩みを遺稿(遺稿がない家においては他人の出版伝記を参考とする、もしくは幕末に遡らず第二次大戦後の歩みに限定する)により検証を行い、客観的評価を試みる。これが研究の経(たていと)である。これにて足れりとすれば、通常の家系調査、家系自慢で終わってしまう。

次に、父祖の同世代人(社会に影響を及ぼした人々)との関わりを調査する。これには適切な出版物・資料の中に関わりを示す具体的な記述があれば最善であるが、ない場合でもそれらは或程度は類推出来る。江戸時代、一番身近にいたのは藩主である。藩政の推移、藩主の幕府における役職を明らかにすることにより時代毎の流れが判る。明治以降は、旧藩主家はもとより、例えば陸軍における上官・同期生・後輩等との関係を調べることにより、父祖の位置付けが判明する。そして、これを研究の緯(よこいと)とする。

上記の経(たていと)が多くなればなる程、また緯(よこいと)が増えれば増える程、研究は充実して行く。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:12 | Comments(0)