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2005年 05月 14日 ( 3 )

 

精神生活の要諦-3

人生における最大幸福として、自分の好き勝手に、現在のみを生き、過去のことから逃避している人々がいる。祖父母の生年月日はおろか、父母の正確な生年月日を知らないという者もいる。

そうした人達が、国際間の歴史問題が出来した際、俄か評論者ともなり、適当な口実を作るのである。自虐史観提唱者に過去の歴史を語る資格はない。知的労働者の記した怨恨の書を書店で立ち読みした程度のレベルで過去の歴史を語ってほしくない。それは父祖を冒涜することである。

最も腹立たしいのは、物心両面で平等が実現されたこの社会で、未だに下男根性をもち、例えば天下り官僚が相当よい生活を送っている等といった妄想を抱いている輩がいることである。嫉妬からは何も生まれない。悔しければ、「出世」して、彼等を見返してやればよい。

日本には美衣美食に満足出来ない、心のホームレスが多過ぎる。

【註】
精神生活の充実により、自虐史観から脱却し、幸福な生活を送るようになった人達の例は多い。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-14 18:40 | Comments(0)  

精神生活の要諦-2

自虐史観にとらわれた人達は、精神的自立が出来ていないからこそ、過去・現在・未来、全てのことが気になるのではないか。自虐史観とは単に戦前の歴史について指すのではない。それは現在の政策に対する不満、将来の生活に対する不安も包含する。女子供のレベルであれば可愛げがある。中年や老年の男が自虐史観を説くのは、本当に情けなくなる。それは男として失格であることを意味している。

次に身体と精神の調和であるが、薬に頼る健康管理は長続きしない。これは依存心を招き、一方では被害妄想をも引き起こす。この被害妄想が自虐史観のはじまりであるが、これに気付いている人は少ない。

また、自虐史観より完全離脱するには、自らが絶えず心身両面の異変に目を配ることの出来る、己自身の「医者」となることが必要である。

結局、薬にも医者にも頼らないということになれば、頼るのは己自身のみであり、他人の介入する余地はなくなる。心身両面の異変は或日突然やって来る訳ではない。何らかの前兆、予兆がある。これに気付かずにやり過ごすと、後日臍を噬むに至ることになる。これは何としても回避せねばならない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-14 18:39 | Comments(0)  

精神生活の要諦-1

自虐史観にとらわれた人達というのは、経済的に恵まれていても足るを知らぬ人達ではないか。結局、精神生活が豊かではないということである。

経済的側面からいえば、例えいくら能書・講釈を垂れてみても、企業経営が失敗すれば、それは敗北者に過ぎない。不渡り手形をつかまされたなどというのは言訳に過ぎない。こういった手合いに限って銀行の非情さをかこつことになる。デフレ経済の今日、多くの敗北者が新たな自虐史観のとりことなって行くのだろう。それは致し方のないことである。

精神生活の要諦は経済生活の充実と表裏一体である。一銭の借金もなく、プラスのみで、一点の曇りもなく正々堂々と生きて行くことに尽きる。それは独立自主路線を歩むことであり、正真正銘の日本男児の生きる道である。

精神生活の要諦として次に挙げられるのは、精神的自立である。これは親兄弟を含む他人・組織・国家に責任を転嫁しないということに尽きる。環境を所与のものとして受け入れることである。うらみ・つらみはなくなり、気分が楽になる。

他人・組織・国家に対し不満があれば、これを見切り、捨てればよい。親兄弟が嫌なら縁を切ればよいし、組織が嫌なら離れればよいし、日本が嫌なら海外移住すれば済むことである。そうした覚悟がなければ、そこに留まることを人生修業と心得るべきである。何も思い悩むことはない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-14 18:38 | Comments(0)