日臺一宇 -Japan and Taiwan: One united community-
2024-03-13T11:29:56+09:00
ayanokouji3
日本と臺灣の共榮の爲に
Excite Blog
時代の風潮について-3
http://taiwanx.exblog.jp/33281972/
2024-03-13T11:29:00+09:00
2024-03-13T11:29:56+09:00
2024-03-13T11:29:56+09:00
ayanokouji3
未分類
温暖化、ワクチン副作用、男女差別、学校でのいじめ、外国人問題ほか、社会・個人レベルにおけるありとあらゆる問題がここぞとばかりに報道され、本当に辟易しているのが偽らざる今の心境である。
こうした時代の趨勢(すうせい)に逆行して生きて行くのは中々難しく、鷹揚(おうよう)に構えているうちに許されるどころか、刑事訴追や民事訴訟等に迄持ち込まれるリスクがあるというのは余程(よほど)のことをすればの話である。
輿論(よろん)の分断が比較的少ない単一民族の日本国民といえども行き過ぎた自由には疑問を感ずることもあるだろう。言論の自由を良しとする中国人は日本で目立った活動をすれば本国に睨まれることになる。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
バブル崩壊後もまだ日本が輝いて見えた1990年代半ばに日本人と結婚した中国人女性に聞いたところ、その当時日本人になり切るために涙ぐましい努力をしたという。爾来(じらい)30年、国力は逆転した。国家統一が至上命題である中国にはかなりの危うさがあり、日中間の諸懸案が単に日本の外交努力や歩み寄りといったことでは解決出来ないことは判っている。なるべく厄介な中国と中国人には関わりたくないというのが日本国の方針であり、国民の切なる思いであろう。中国の知識人が日本に好意を抱き、多くを期待したとしても、日本にはこれに答えるだけの素地がない。経済停滞や人口問題についてはそれぞれの国の体制に応じて対処するしか解決策はない。介護保険のない中国と、福祉制度のレベルがかなり向上し介護面では社会主義に近いとも言える日本との立場が逆になっているのは一面皮肉のように映るが、体制が違う国同士の相互研究、国民同士の交流と切磋琢磨は元々無理である。総統選を終えた台湾での有事について中国経済の現状を理由として可能性は低いとの楽観的な立場もあるが、中国の面子(めんつ)を賭けた台湾問題が突出しつあるように関係国には見えており、楽観・悲観の両面の要素が交錯した挙句に偶発的に衝突が起きるという事態を否定出来ないのが何とも不気味で、憂慮すべきことである。学者・評論家・ジャーナリストをはじめ、知識人には多くを期待することは出来ない。政治家のアバウトな判断で事態を乗り切るしかない。]]>
時代の風潮について-2
http://taiwanx.exblog.jp/33269839/
2024-02-26T17:58:00+09:00
2024-02-26T17:58:06+09:00
2024-02-26T17:58:06+09:00
ayanokouji3
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昔は明らかな身分・男女・学歴による差別があった。今も隠然たる差別は残っているものの、度を過ぎた糾弾が一般的となり、次第になりをひそめつつあるのは世の趨勢なのである。
衣食住共に、質量の向上を考えれば物価は相対的に安くなった。統計に表われているような生活水準の低下は一部の人達は特に感ずるのであろうが、それにはいろいろと訳がある。
総じて言えば、社会とその構成員である我々人間が不断に進化しつつある中で、一部の人達が事件・問題を起こした教訓をもとに行われる改善・改良では根本的な解決に至らない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
小生一個人の印象として昔の社会は全般的に薄暗かった。これは古い思想の根底に「尚武」があったからである。「尚武」の気風は勝ちや意地を大事にすることからいじめが横行し、精神至上主義に行き着くことになったのである。それはそれで良い面もあった。他方、厄介事の処理を頼む「ヤクザ」は便利な面も確かにあったが、後々のリスクを考えれば永続的な付き合いは期待出来ず、短命で終わる人達もいた。小生の知る限り、昭和40年代前半迄は「ヤクザ」の存在感があったように思う。「尚武」と「ヤクザ」は縁のある人達が引き寄せていたが、一生を通じて全く無縁の人達の方が多かった。この両面を踏まえてみると、現在の国内外の情勢や社会における種々の事件・事故を分析することが出来る。その一方で、読者の賛意・感動を呼び起すために、所属会社の方針で記者が筋書を作って脚色を加えたかなり偏った報道に一般国民は日々晒されている。心ある人達はそうした偏った多くの記事をできる限り多く読み、「免疫力」を向上させておかねばならない。「免疫力」が十分でなければやがて健康を害することにつながる。心身面で「免疫力」不足の一定数の人達が福祉社会の恩恵に浴するシステムは理想的ではないものの、現状を良しとして、これ以上のものは望むべきではない。]]>
時代の風潮について
http://taiwanx.exblog.jp/33258751/
2024-02-13T13:14:00+09:00
2024-02-13T13:14:36+09:00
2024-02-13T13:14:36+09:00
ayanokouji3
未分類
併(しか)し乍(なが)ら、何時(いつ)の時代も一般国民の立場からすればどちらに転んでも大した差はないというのが本音(ほんね)ではないか。物価高やワクチンの副作用に翻弄される人達は実に不憫(ふびん)である。
複雑怪奇の観を呈する国際情勢、国内政治・経済・社会の紛糾も一たび落ち着き、常態化して静観すれば何程のこともない(なかった)といった心境に必ずや至るのであろう。
国も企業団体も個人も背伸びすることなく、能力を小出しにしてその場凌(しの)ぎの対応に追われている間は大きな懸案が後回しになるというのは却って幸せなことなのかも知れない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
台湾は実質的な独立国家であることに間違いないが、国際場裡でこれを高らかに言明するような指導者はいない。それは致し方ない。ところで、昨年12月の朝日新聞に中台両国とした4日前の表現を訂正する記事があった。朝日にも良心的な記者はいるものである。意図的なものか、見落としかは当事者に聞いてみなければ判らない。建前と本音が乖離(かいり)しているケースは台湾の地位だけではなく、国内外至るところに存在している。これを決めるのは建前と本音のどちらが一般大衆に受け入れられ易いかという点だけである。有識者の意見は御尤(ごもっとも)もであるが、知見やこれ迄の経緯を重んずる余り、当り障(さわ)りのない内容が表面的に過ぎるという憾(うら)みも時にある。特に歴史認識は紋切り型の解説に終わり不十分である。私怨・思い込みにもとづく歴史認識は公平性を欠いている。神経過敏気味や能天気な作家は請(うけ)売りの説であっても小説に織り込むことは出来る。小説の売れ行きが仮に良いとして、そうした歴史認識を一般大衆が信ずるか否(いな)かは別の問題である。一般大衆も信じていると吹聴(ふいちょう)するのはマスコミの役目である。最近つくづくそのように考えるようになって来たのは小生が十二分に年長(た)けたせいであると思う。
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コロナ後の社会について
http://taiwanx.exblog.jp/33234225/
2024-01-25T14:09:00+09:00
2024-01-25T14:09:21+09:00
2024-01-25T14:09:21+09:00
ayanokouji3
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便利・不便の観点から言えば実に便利な社会となっている。これ以上の便利さは最早望めない。管理社会はまた監視社会でもある。日々監視カメラを利用する小生も効果を認める。
ネット社会で被害に遭わないためには精神の安定が必要である。精神を安定させるためには知識が必要である。知識を増やすためには先ず己が立脚する出自を解明するしかない。
所属団体、地域社会、日本社会に馴染めない人達は犯罪に走らない引きこもりとし、安寧秩序を乱させぬようにする、少数の精鋭が担う福祉国家がコロナ後の社会の理想である。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
1月23日の日経新聞1面の「春秋」には主人公がホームセンターの店員、路線バスの運転手、トイレ清掃員という3本の映画を紹介し、「内面の生活さえ豊かならば人は幸福でいられる」とあった。コロナ後の社会における幸福とは何か。変化する環境を克服するために何時(いつ)の時代もその維持には、情報を取捨選択せねばならず大変な努力を要するものと思う。成功者の自慢話や「敗軍の将兵を語る」式の失敗談は参考とならない。一部の人達の内面の豊かさとは一時的であったとしても金銭・権力面で優位に立つことであり、これを否定・批判することは出来ない。若い頃は大いに追求した方が良い。その上で限界を知り半ば引きこもり的な天職を得て、「自分ひとりを満たすものだけに囲まれた静かな生活」として老後を豊かにするのであれば実に結構なことである。そうしたことを踏まえて上記の「春秋」を熟読玩味すると中々味わい深いものと感ずるのである。
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台湾総統選について-2
http://taiwanx.exblog.jp/33220363/
2024-01-15T12:25:00+09:00
2024-01-15T12:25:09+09:00
2024-01-15T12:25:09+09:00
ayanokouji3
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併(しか)し、これからの紆余曲折は一層激しさを増して来るのではないだろうか。中台間の小競(こぜ)り合いが生じた場合の善後策は期待出来ない。民進党政権は一に忍耐、二に忍耐である。
その場合、内政面が最も安定しているように感じられる日本が、日台協和の実を生かして国際輿論を主導する役割を米国と共に一層果たすことが求められるが、これは可能だと思う。
国際輿論を無視して台湾に手出しすることになれば後々の影響が出て来るのは十分判っていると思われる中共が十分な準備と確信なしには動かぬことが楽観ではないことを祈るのみ。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
元旦突如発生した最大震度7の能登半島地震に関する各種報道は太平の眠りを覚醒させるには十分であった。喉元(のどもと)を過ぎても熱さを忘れないような激甚災害に遭うことはなくとも小規模での擬似体験をする機会は一生の中には必ずあると思う。激甚災害ではない通常の事件・事故は、アレルギーや癌の体質がある一部の人達が敏感にとらえることの出来る、肉眼では見えない所謂(いわゆる)妖気や邪気によるもので、予兆として怪奇音や異臭として表われて来るようであるが、科学的な根拠のない単なる推測である。とはいうものの、国民のそうした不安が大災害を招くことになるのではないか。中台衝突があるとすれば大災害であり、台湾の位置づけに関する日本の立場を明確にしておかねば何とも太刀(たち)打ち出来ない日が必ずやって来ることであろう。「昔は良かった」式の時代錯誤的な考えは通用しなくなって来た。目下日本の政治・経済・外交のレベルが劣化しているという兆候はないが、物事の進展の速度が一層激化しつつある中、日本を取り巻く情勢を余程(よほど)慎重にとらえて対処しておかないと国家社会・企業団体・個人それぞれが時代遅れとなる。日本が国として台湾問題に深く関わることは日本の体制を見直し、改善する上でも大いに利することになるものと思う。]]>
台湾総統選について
http://taiwanx.exblog.jp/33202087/
2023-12-25T11:44:00+09:00
2023-12-25T11:44:12+09:00
2023-12-25T11:44:12+09:00
ayanokouji3
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中台は不可分とは言いながら、異なる体制を如何(いか)にせん。日米の中国に対する牽制は飽迄(あくまで)も支援の意味に過ぎず、体制の選択は台湾住民に委(ゆだ)ねられているのは中国も理解している。
台湾住民を籠絡し、日米の干渉を弱めて行けば大陸の台湾統一は成るのか。総統が誰になるにせよ、台湾のみならず、日米にも反対勢力の動きが蠢(うごめ)いて来ることは覚悟せねばならない。
暗すぎる予想は程々にして素直に総統選の行方を日本から眺めておきたい。精神を病むと悲観・楽観いずれにも偏(かたよ)って行くことになる。日本人は台湾の行く末を常に楽観すべきである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
台湾で言われる「日本精神(ジップンチェンシン)」とは明治の精神のことである。明治の精神は明治天皇、乃木将軍と森鴎外のお三方のことを識(し)ることにより理解が可能となる。研究対象と夾雑物(きょうざつぶつ)が多ければ多い程(ほど)、明治の精神の理解からは乖離(かいり)して行くことを思えば、常人としては明治天皇御製、二〇三高地の攻防に関する歴史解説書および翻訳「即興詩人」に触れるだけで良い。それらが明治の精神のエキスであり、余力のある人はいろいろと寄り道をしても良いが、恐らく得られるものは少ないことであろう。大正・昭和・平成いずれも精神とするには時代背景がそぐわなかった。令和は始まったばかりである。精神に似つかわしいのは明治あるのみである。ところが、今やその明治の精神は忘れられつつある。その例として、明治天皇・昭憲法皇太后の御真影に対し奉(たてまつ)り、殆(ほとん)どの若者は全くどなたか判らないという厳しい現実がある。朝日やNHK的世界に長居(ながい)すると全く問題のない教育勅語(ちょくご)の内容が曲解され、蛇蝎(だかつ)視されるのである。嘆(なげ)かわしいことではあるが、神経過敏症的日本人が増産されつつあるように感ずるのは小生だけであろうか。世の多くの常識ある高齢者にたずねてみたいものである。]]>
日本と中国の就職氷河期世代について‐2
http://taiwanx.exblog.jp/33184763/
2023-12-13T11:55:00+09:00
2023-12-13T11:55:15+09:00
2023-12-13T11:55:15+09:00
ayanokouji3
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日本の就職氷河期世代は高齢者に近く、分別のある立派な大人であり、昔のことで愚痴を言うのは例えば芸能人で目の出なかった人が理由を何処かに求めることと同じである。
精神面が不安定で今の持場で頑張れないのは不幸であるが、日本で同世代向けの下級公務員に運良くなれたとしても無事勤続出来るかは判らない。中国の青年達も同じである。
日本の就職氷河期世代の「災難」は当事者が甘んじて受けるべきものではないだろうか。中国ではお馴染みの標語「自力更生 独立自主」で切り抜けるしかないと思われる。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
江戸時代の士農工商から農を外して現代人の勤め先を大別すれば、公務員の士、メーカーの工、その他の商となる。さて、40代前半で引退した小生以外の高校や大学の同級生達は全員勤め上げた。現在、最も気が合うのは、堅い公務員やおっとりしたメーカー出身者よりも物事の判断や金銭にシビアで頭の回転が速い大手銀行出身者である。マネー敗戦による廃業の危機で政府の保護下にあった銀行役員と行員が並々ならぬ辛酸を嘗(な)めた物語は経済小説にも載っている。何時(いつ)の時代にも勤め人は淘汰の憂(う)き目やその可能性にさらされて来た訳である。古い話ではあるが、明治維新後、各旧藩には「国立銀行」と称する私立銀行が設立され、旧藩主の出資のもとに旧藩士が勤務したりした。小生の曽祖父も地元の銀行の設立に関与し、勤務した一人である。今の信用金庫に到底及ばぬ規模の当時の多くの銀行でも景気の波でかなりの浮き沈みがあった。銀行は陸海軍・各種学校と並んで士族の勤め先として確実で相応(ふさわ)しいとされたと聞いている。曽祖父は銀行に144年前、祖父は陸軍に124年前、父は国策会社に84年前にそれぞれ入った。小生を含む4名の共通点は現役時代が20年前後で、引退後の年数がかなり長いことである。自らを労働者階級と思わなければ勤め上げずとも余生は楽に過ごせるが、そう思い込めば一生酷使される運命となる。若い頃から準備を怠らず、中年以降は人に使われず、肩身の狭い思いをすることなく、自分の好きなことを人知れず行うことが至福につながる。就職氷河期世代の人達が心しておくべきことであると思う。]]>
日本と中国の就職氷河期世代について
http://taiwanx.exblog.jp/33159169/
2023-11-26T18:35:00+09:00
2023-11-26T18:35:33+09:00
2023-11-26T18:35:33+09:00
ayanokouji3
未分類
昨年7月の安倍氏遭難は宗教団体絡みというより就職氷河期がもたらした結末と見ても過言ではない。他方、人生がうまく行かぬ派遣勤務、ひきこもりで薬漬(くすりづけ)の人は多いと思う。
好景気が伝えられていた中国を見限り日本で学び直し、日本企業に就職した人の話を4年前から聞いていた。中国での就職難が日本の比でないことを、日本人は「知る人ぞ知る」。
目立った職歴がない人には世間が冷たい視線を向けがちとなるのは致し方ない。日本人でも中国人でも現在の職業に誇りを持ち小成に安んじて日々明るく過ごすことを願っている。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
小生の伯父(おじ)達は昭和初期の就職難を経験した。第一次大戦時の活況の反動で昭和に入ると不況の様相を呈し、就職難は凄絶(せいぜつ)を極める。「大学は出たけれど」は流行語となった。1928年、18の大会社は卒業成績を見た上で入社試験を行うと協定、4月に入社試験、5月入社となる会社もあった。その大会社とは日銀、正金、三井、三菱、住友、安田等である。1928年から次第に採用人員を減らし、1931年には揃ってシャットアウトした。小生の祖父が三菱の社長に次男(小生の伯父)の就職を懇望した書状の控と社長からの返信2通が残っている。伯父は結局安田火災に入社して会社人生と天寿を全うした。弟である父は日支事変後に北京の国策会社に就職した。戦争がなければ内地でくすぶっていたことだろう。引揚後は北京での体験を商売に生かし地元の一有名人ともなり天寿を全うした。食糧難・貧困・赤貧・耐乏等の語はまともな日本人には凡(およ)そ無縁である。小生は若い頃から暖衣飽食、物質の充足した社会に対し深く感謝すると同時に、社会全般に個々人が身の程を知らぬ消費性向を続けていることを憂えて来た。新聞の社会面を賑わせる数々の悲劇は、当事者が「健康で文化的な最低限の生活」に甘んじていれば決して起きなかったであろう。尚、上記の祖父が日露戦争前2年間の台湾勤務を振り返って、当時台湾を「青年輩の退歩場」と見做す向きがあったと記録に残しているが今は如何か。各人の考え方次第であると思う。]]>
日中友好について-4
http://taiwanx.exblog.jp/33149359/
2023-11-14T05:33:00+09:00
2023-11-14T05:33:45+09:00
2023-11-14T05:33:45+09:00
ayanokouji3
未分類
日本人が滅多に手を出さない、リスクのある物件を彼等(かれら)が少しずつ拾っているのは単なる投資目的ではなく、本国からの逃避、別の表現では彼等なりのリスク回避目的だと言えよう。
食の分野では横浜中華街のコックが独立して他場所に開店する動きがあり、小生は中国語の学び直しの目的もあり開店したばかりの店舗の状況を観察し続けることを日課としている。
果して中国人は中共指令のもとに或(ある)いは無意識のうちに日本を中共の日本特別行政区に組み込むための活動に励(はげ)んでいるのか。その判断の前に台湾の帰趨(きすう)が益々重要となっている。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
残留孤児の制度を利用して日本国籍を難なく取得した中国の人達がいる。彼等が中共の日本侵略の手先として暗躍したとは思われない。出稼ぎ労働者同様、蓄財分を本国に還元したに過ぎない。日中友好につき記すようになって、旧満州の人達はもとより、これ迄殆(ほとん)ど接触の機会がなかった他省出身者との出会いが始まりつつあるのは不思議な縁としか言いようがない。無意識のうちに小生が各地出身者を呼び込み、引き寄せているのか。顧(かえり)みれば、20代では初歩の中国語で字句に拘泥(こうでい)する一方、中国人との接触は限られていた。30代で実践ビジネス中国語の域に達し、台湾・香港・中国本土・タイ・インドネシアを回り、華僑活躍の場の奥の深さを実感した。40・50代では中国人の出稼ぎ学生・労働者の実態を観察する一方、レベルの高い在日中国人との交流の場に参加した。60代では一向に見るべき成果はなかったものの、ここに来て20代、30代に続く第3の中国語学習の段階が始まったものと考える。惜しむらくは台湾人との接触の機会が非常に少ないことである。思うに、日中両国が外交上敵対するのは止(や)むを得ないが、日本の一個人としては中国人には偏見を持ったり恐れたりせず、却って彼等を取り込むべきである。懐の深い令和式共栄圏を理想とする日本人にはこのことが必要である。]]>
日中友好について-3
http://taiwanx.exblog.jp/33132957/
2023-10-25T11:58:00+09:00
2023-10-25T11:58:14+09:00
2023-10-25T11:58:14+09:00
ayanokouji3
未分類
文革の被害は子孫に至る迄語り継がれていることをあらためて知ると共に、洗脳が人民に与える影響の凄まじさは筆舌に尽くしがたいものであると感じた。同情すべきことである。
日中友好とは、不信・決裂・戦争という過程の対角線上にあるのではなく、別次元の理想的な姿であり、この実現には両国政府の方針に沿う理性的で文化的な活動に待つしかない。
その点では関係の一層の悪化を食い止める位以外に、日本が中国に期待出来るものは殆(ほとん)どない。長期交流の歴史が現代の潮流に呑み込まれて仇(あだ)と化したのは残念なことである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
日中平和友好条約発効45年といっても現時点での両国関係からすれば全く白々しい。現実的ではないものの、この際思い切って条約を見直し、一からやり直すのは一考の余地がある。相互不信のまま綺麗事ばかり並び立ててみても諸々の課題は一向に解決しない。誤解が誤解を生み、新たな対立が連鎖的に発生する。日本人は中華思想を十分に吸収・咀嚼(そしゃく)した。中国人も日本の良いところ、悪いところは十分理解していると思われ、最早(もはや)これ以上の交流と友好関係の発展は見込めない。必要な貿易だけは細々と続け、台湾問題は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(日本国憲法前文)、解決するよりほかに道はない、といった悲観的な見方も可能ではあるが、国民・人民の間では混血を含む人的な関係が深まりつつあるのも事実であり、小生から見れば欧米人や東南アジア人と比べれば、中国人は韓国・朝鮮人と同じく赤の他人のようには思えない。建前と本音を使い分けるのが賢明であろう。]]>
日中友好について-2
http://taiwanx.exblog.jp/33122780/
2023-10-13T10:07:00+09:00
2023-10-13T10:07:20+09:00
2023-10-13T10:07:20+09:00
ayanokouji3
未分類
この数字の正確性はともかく日中関係が冷え込んでいることはいう迄もなく、最重要の台湾問題や先般の処理水問題を含め、今後も好転する見込みはない。
情報戦・認知戦・歴史戦・ナラティブ戦といったものは中国側が執拗に仕掛けて来て、特に昭和50年代後半以降、日本は脚色された歴史に翻弄され続けた。
党主導の「被害者ビジネス」を立ち上げた中国側に対し、平謝りの「加害者ビジネス」を展開した日本側に経済面で一種の打算があったことは否定出来ない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
小生は初対面の中国人には必ず出身地をたずねるが、馴染みのある地名が出て来ると何となく安心する。最近知り合った中国人は瀋陽2名、鉄嶺1名である。 前者は小生の短期滞在の地、後者は明治40年代に祖父が軍人として勤務していたところである。国も年齢も異なれば意思疎通は困難に思われるものの、実は日本人同士よりも容易と感ずる場合もある。個々人の活動・人生などといったものは全世界・歴史の中では微粒子以下に過ぎない。そうしたことをこの歳になりあらためてつくづく感ずるのである。個人・国家間の関係も同じである。様々な経緯・条件のもとに関係が形成され、それが永続するのが必然となる。日中関係それ自体を高い次元の視線で彼此論評しても甲斐はない。実際に起きている現象面を把握して如何に対処するかは知恵者の能くするところであろうが、必ずしもうまく行くとは限らない。危機意識を煽り立てることも時には効果があるように思う。]]>
日中友好について
http://taiwanx.exblog.jp/33103714/
2023-09-25T12:36:00+09:00
2023-09-25T12:36:22+09:00
2023-09-25T12:36:22+09:00
ayanokouji3
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「米唱日随」を運命づけられ「日本化」した日本国と中華帝国統一の悲願を持つ中国との間では真の日中友好は困難というより不可能であると言って良い。
国民・人民同士は一定の相互理解が可能というのは知識人的な見方であるが、それには相手方の言語・文化の理解が前提としてなければならない。
そうした理解がなく漠然としたイメージで両国関係が良い・悪いなどと洗脳されて来た国民・人民にも問題があると思うのは小生のみだけではないであろう。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
どの国においても政策の恩恵を受けている人達は国への忠誠心があり、迫害されていれば反感を持つ一方、いずれでもないと考える人達もかなりいるように思われる。中国での現体制を良しとする人達は日本の福祉社会に溶け込んだ人達と同じようなものである。然(しか)らば地域・国としての所属が完全には未確定のまま、何十年も据え置かれている台湾人は如何(どう)であろうか。ここで台湾の歴史を紐解き、日本の役割をあらためて見直し、日本統治下の50年は有意義なものであったとの公式の見解を前提として、制度設計は容易ではないが、日台合邦論とは決して荒唐無稽の夢想家的発想ではない。最早(もはや)現状維持を突き進むのではなく、日台の過去と現在を踏まえた、現実的な選択肢の一つとして、将来の紛争に備えるために正式に検討すべき時期に達している。これを理解せずして真の日中友好はあり得ない。]]>
「吉田茂ならどうするか」について
http://taiwanx.exblog.jp/33094804/
2023-09-13T20:47:00+09:00
2023-09-13T20:47:44+09:00
2023-09-13T20:47:44+09:00
ayanokouji3
未分類
ニクソン大統領の訪中、電撃的和解、田中首相による国交正常化から50年余、「関与政策は激しい批判にさらされている」「日本はどう向き合えばいいのか」と締め括る。
さて「安倍晋三ならどうするか」と冷静に考えれば、嫌中的な国民には知られぬまま、表面上は封じ込め、実質的には関与という実利的方向を米国に認めて貰うのではないか。
泉下の吉田氏が現在の日本外交に60年前と比べて特段の変化がないものと観ずればそれで十分であると思う。理想的な外交などというものは本来期待出来ないからである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
22周年の911テロ事件は年月を経て風化したのではないか。3年前にも記したが、小生はその1年前の9月にワールドトレードセンターの屋上で好天下の眺望を楽しんだ。1年後の9月に跡地を見に行った。その後、ワシントン・フィラデルフィア・ボストンにも行ったが、全般的に緊張感よりも虚脱感がただよっていた。今となっては誰が犠牲となり、誰が生き残り、何が背景にあり、誰が首謀者で、誰が罰せられたといったことは忘却の彼方となりつつある。この世のことは時の移ろいと共に消滅して行き、わずかな遺跡や歴史書といったもので後世に伝えられ、時に改変・捏造が行われるのは止むを得ない。何が真実で何がフェイクであるか、何が嘘と真をこきまぜたものであるかは、理性的な国家指導者やまともな国民が判断するしかないことである。他方、一定期間を過ぎた出来事なら兎も角、進行中の事件や事故に如何なる要因があるのかを正しく知りたいという人達はそれぞれのレベルで知ることが出来るものと思う。]]>
国家間の関係について
http://taiwanx.exblog.jp/33080068/
2023-08-25T14:55:00+09:00
2023-08-25T14:55:52+09:00
2023-08-25T14:55:52+09:00
ayanokouji3
未分類
日米は和親条約締結より既に169年、恩讐を越えた強固な関係は日本外交の基軸となっており、この中で日台関係の維持・強化が展開されるという現実は変わっていない。
中共・ロシアは独特の主義・主張を持つ国家であり、日本とは信頼関係にはないが、表面上の和平を貫くという観点から蛇蝎視することには意味はなく、逆効果である。
日本としては八方美人を標榜しつつ、国際的に離合集散を繰り返す国々であっても友好国として遇し、何らかの絆を残しておくのが長期的に見れば得策であると言える。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記)
小生は1976~78年の2年間、虎ノ門の霞山ビルの中の東亜学院(東亜同文書院の同窓会運営)の夜間講習の初級から中級クラスで中国語を週2回(計4時間)学んだ。台湾人で東大の博士課程に所属する講師が、その数年前に国連を追放されていた台湾の複雑な国際的地位には敢えて言及しなかったことや、非常に真面目な人で学ぶべきものが多かったことを鮮明に記憶している。ところで、小生は現役時代には仕事や私用で、欧米人とのやりとりがあり、英国人の皮肉と米国白人のジョークには一目置いたものであった。それに比べてドイツ人や日本人の物言いは大体においては真面目なものである。一個人の体験や感想が全体にあてはまるとは限らないが、この真面目さもまた敗戦の一要因かも知れない。勝敗は遠い昔の一時のことで、今後の各国との友好的な関係の方がより大切である。]]>
終戦記念日の風化について
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2023-08-13T12:35:00+09:00
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ayanokouji3
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嘗(かつ)て中韓両国との外交で歴史認識の問題が前面に出ていた時期のことを考えれば隔世の感があるが、それもこれもやはり世代の移り変わりということである。戦争世代同士で解決し、後の世代に負担を残すべきではなかった。
サンフランシスコ講和会議は一体何のためにあったのかと不思議に思うことがあるのは、1990年代以降の歴史戦とメディアによる国民洗脳の試みがあったからであろう。朝日・NHKのみならず、讀賣新聞もまた責任を免れない。
歴史の風化には、忘却促進の一面のほかに、歴史の断面を客観的に理解することが出来るというメリットがある。政治的、感情的な歴史認識の蔓延が日本に如何(いか)なる不利益をもたらしたのか、そうした研究の一層の深化を期待する。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
(補記) 半年前に河野太郎氏のメールマガジンで、推薦図書として「真珠湾の冬」(早川書房刊、ジイムズ・ケストレル著、山中朝晶訳)が紹介され、直(ただ)ちに図書館で予約、先日同書を借り受け読了した。戦争にまつわる米国人の一つの解釈であり、刑事小説として読んでも面白い作品である。ここには日本人・米国人間の恩讐といったものは感じられない。60代以上の日本人男性には薦めても良いと思う小説である。次に「中華文明史」上・下(飛天大學出版社刊、章天亮著)は現代中国語で書かれ、中国の歴史・思想・文学の概略を述べたものであり、奥深い内容である。日本に関する記述が少ない憾(うら)みはあるものの、それはそれとして、在日台湾人はもとより、中国語を読む一定のレベルに達している70代以上の日本人・韓国人の男性と女性には是非お薦めする。同書は去る5月章天亮氏の在日中国人向けの講演会に出席した際購入したもので、得るものが多く、目下再読中である。]]>
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