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政治体制と台湾の帰趨について

1993年、日本では古今無比の無能な宮沢・河野コンビの失体を嘲笑するかの如き新党ブームの中、近衛文麿の孫、熊本藩主細川家の後裔、細川護熙氏を首班とした連立内閣発足、「55年体制の終焉」と称して、左派系の暴走がここに始まった。以後、1998年に自民党橋本首相の参議院選挙敗北による退陣に至る5年間というもの、日本は狂っていた。

細川談話、阪神大震災、オウムサリン事件、戦後50年の謝罪決議、ペルー人質事件、金融危機に続くマネー敗戦、男女を問わぬ茶髪の流行等々、思えば、在日朝鮮人や同和出身者が国政の中枢に入ることを許した当時の日本の民主主義自体に問題があったのである。外交面では、土下座外交の継続、慰安婦・強制連行問題等反日行動の再燃は目を覆うばかりであった。

1993年8月、小生は台湾に行き、台湾での「新党ブーム」をテレビにて知った。鵝鑾鼻にて蒋介石の大陸に向かって立つ銅像を見た。「2.28事件」の真相を初めて知った。

1996年、台湾の総統選挙を機に中国によるミサイル演習のことがあった。小生は当時、香港・広東・福建に毎月2週間程度滞在していたが、福州空港にはシートで覆われた戦闘機が配備され、何となく物々しかった。厦門(アモイ)で民間人に、また福州軍区の兵士に本当に「打台湾」するのか聞いたが、彼等は皆否定していた。

さて、台湾の有志諸君、あなた達の敵は決してミサイルの照準を台湾に合わせている中国人民解放軍、またその背後にいる共産党幹部ではない。1993~1998年の日本の例の通り、緊張感を欠いた政界中枢に浸食した不逞の輩が日本国を崩壊せんと意図した如く、民主政治体制の世の中では、集票結果により、政治を如何様にでも動かすことが出来る。亡国も興国も紙一重であり、大衆を侮ってはならないのである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-02-25 19:08 | Comments(0)  

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