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竹下台北訪問記-6

忠烈祠を後(あと)にした私達一行は、忠烈祠の目と鼻の先、台北のランドマーク的存在として知られる圓山大飯店(The Grand Hotel Taipei)でティータイムを取る事にしました。
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「圓山」は北京語(マンダリン)で「ユェンシャン Yuánshān」と発音するのですが、日本統治時代を過ごした台湾人の中には、今でも「まるやま」と日本語で呼ぶ事も少なくありません。因(ちな)みに、台北北郊の国内線専用空港「台北松山機場」も「まつやまくうこう」と慣用されています。
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扨(さて)話は戻り、圓山大飯店。遠くから見ると誠に以て目立つ存在ですが、近くで見ても圧巻。支那王朝の宮殿を高層化した様な建築様式は見る者を圧倒します。その上、ロビーは紅い絨毯(じゅうたん)に紅い円柱。その天井と言い、吊り下がっている提灯(ランタン)と言い、客室が階毎(ごと)に明や清の様式で統一された内装を採用されている事等、台湾の地に「中華」を再現しようとした蒋介石の意向が前面に打ち出された様なホテルと言えます。建設開業当時は、中華民国一のホテルとして、外国からの賓客が宿泊する等、一流だったのでしょうが、老朽化したお手洗いを見る限り、流石(さすが)に古さを感じずにはいられません。
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ところで、この圓山大飯店が建つ場所には、日本統治時代に台湾にあった諸神社の総鎮守として頂点にあった台湾神宮が嘗(かつ)て鎮座していました。今ではすっかり跡形も無くなり・・・と書きたい所ですが、広い通りから圓山大飯店に通じる歩道(坂道)の最初の門が、実は嘗ての台湾神宮の鳥居だと言う事を、靖国英雄氏から教えられました。写真は撮影しませんでしたが、成る程、鳥居と言われれば鳥居。ただ、痕跡はそれだけ。
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明治34(1901)年に創建され、大正12(1923)年4月12日、大正天皇に代わり摂政として政務を執っていた当時の皇太子殿下 ── 後の昭和天皇 ── も参拝した台湾神宮は、遠い歴史の彼方へと消えています。勝手な希望かも知れませんが、何時(いつ)の日か、台湾神宮が再建される事を一日本人として願っています。 (続く)

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2008-02-26 20:03 | Comments(0)  

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