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劉金和先生よりの手紙(御紹介)

(下記の私信を皆様に紹介するに当たり、発信者の事前諒解を得ております。又、文中の振り仮名及び、旧字体に対する新字体の併記、並びに註釈は、受信者(編集者)が閲覧の便宜上付したものです。)


謹啓 竹下義朗様へ

 始めまして。私は劉金和と申し、昭和二年生まれの台湾在住人で御座居(ござい)ます。本日、私の友達から、竹下先生からの日本語文のイメール(E-Mail)のお手紙を戴きました。それ故に、拙(つたな)い日文にて、貴兄の台湾に対する温かい想いやりに対して、厚く厚く台湾国人として、御礼申し上げます。

 扨(さ)て、春も近づき、気候も大分暖く成りました。貴国も櫻(=桜)花の満開時と想ひます。それに反し、世情は冷たくなり、美伊の開戦(註1)及北鮮(註2)の強場動作、日本人拉ち等、及(および)中国が台湾に対する壓力(あつりょく=圧力)等で台湾國の在住民は、心も晴れません。現在の台湾の状況は戦後、逃難の中國政権及其(そ)の難民達が五十餘(=余)年の専制政治で台湾人に対する圧迫で、台湾獨(=独)立の必要性を大部分の台湾住民は希望して、いや激しく希望してゐます。でも過去及、現在の政治家はそれを無視してゐます。民間には建國党と云ふ組織が台湾の政治改正及獨立を目標に、努力してゐます。この悪環境に於けましては、経済的、環境的にて、手も足も出し難い想ひがします。幸ひにして、米國の種々援助に対し、かすかな希望を持ってゐますが、貴國親台派の方々にも、より強い援助及、貴國の政府に対して、圧力を掛けて、恐中政策を廃止し、より少し台湾に対し暖い政策を施す事を御願ひ致します。

 二次大戦に対し、私は日本は負けて勝った、と存じます。それは植民地(南洋諸国)解放の目的が達成した事です。

 終戦時は私は20才でした。日本舗道会社に勤務してゐました。當(=当)時(八月十五日)の玉音放送(註3)で泣きました。又色々日本人の友達の送還の時も色々日本の友達及学校の先生の世話もしました。長い昔の事でした。私はもう年寄りに成りました(77才)
もう心有餘、力不足(心は願っても体力が不足の意味)で台湾の将来は温仲民氏達の年層の人が、力を盡(=尽)くして下さる事を、願ってゐます。

 長たらく、書きました。今後共長く友達として、御交際下さる事をお願ひします。御住処をお知らせ下さい及電話番号でも。では、我が日本の國運繁昌を祈り、貴兄のお家族様の健康と幸福を祈祷しまして筆を置きます。

左様奈良(さようなら)

台湾、台北 03.3.26. 劉金和


  1. 「美」は亜利加(アメリカ)の、「伊」は拉克(イラク)の略で、「美伊の開戦」とは即ち米英によるイラク戦争開戦の事。

  2. 北朝鮮の事。

  3. 昭和20(1945)年8月15日、昭和天皇が日本国民に向けて、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦を宣言したラジオ放送。終戦の詔勅。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2003-03-26 19:42 | 日台に関わる人物 | Comments(0)  

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