精神の作興について
終戦以来この方、精神主義重視に対する反省から、物質を主とし精神を従とする風潮が続いて来たのは事実である。
バブル崩壊、政治漂流の時代においても、国民が発奮して国運の恢復に努めたという感じは余りしない。
「癒し」「自分探し」「生き甲斐」といった自嘲的、卑屈な表現を以て現状を糊塗して来た人々は多い。
今、彼等が富の偏在に関心を向けて来たという風潮もまた、危険とは言わずとも、無益・無意味な印象を受けるのである。精神の作興が必要である。
(参考)明治天皇御製 「山」
万代(よろづよ)の国のしづめと大空にあふぐは富士のたかねなりけり
バブル崩壊、政治漂流の時代においても、国民が発奮して国運の恢復に努めたという感じは余りしない。
「癒し」「自分探し」「生き甲斐」といった自嘲的、卑屈な表現を以て現状を糊塗して来た人々は多い。
今、彼等が富の偏在に関心を向けて来たという風潮もまた、危険とは言わずとも、無益・無意味な印象を受けるのである。精神の作興が必要である。
(参考)明治天皇御製 「山」
万代(よろづよ)の国のしづめと大空にあふぐは富士のたかねなりけり
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2006-04-22 10:32 | Comments(0)