所謂「憂国」について
憂国の士というのは、何時(いつ)の世にも存在すると思う。
新聞に投稿し、その持論を多くの読者に読んでもらうことだけでも、立派な憂国の行為といえる。
ある日思い立って近くの歩道を清掃したり、屯(たむろ)している不良少年少女を注意することも、卑近(ひきん)なことではあるが、これに当たるであろう。
三島由紀夫のように思い詰め、命を粗末にすることが、真の憂国の行為であるか否(いな)かは、小生には判断する資格は未だない。
新聞に投稿し、その持論を多くの読者に読んでもらうことだけでも、立派な憂国の行為といえる。
ある日思い立って近くの歩道を清掃したり、屯(たむろ)している不良少年少女を注意することも、卑近(ひきん)なことではあるが、これに当たるであろう。
三島由紀夫のように思い詰め、命を粗末にすることが、真の憂国の行為であるか否(いな)かは、小生には判断する資格は未だない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2005-10-26 20:11 | Comments(0)