戦後72年の所感
戦後30~40年頃迄は様々なレベルにおいて戦争の生々しい記憶を呼び起こす努力がなされていたように思うものの、50年ともなると、政治の駆引の材料に使われ、村山談話という、一方的な歴史認識を踏まえた、唾棄すべき談話が登場した。
60~70年になっても村山談話が足枷となり、歴史認識の完全是正が遠のいたのは残念なことであるが、その後、籠池騒動の過程において、教育勅語に関心が集まったのは意外であった。
戦後72年に当り、開戦と終戦の詔勅を襟を正して、眼光紙背に徹するが如く拝読するとき、今の時代にも十分通用する、日本民族の進むべき路線が明らかとなる。
研究し尽くされて、再発掘・秘録といった区々たる歴史の事実というものに目新しさがなくなった今こそ、上記詔勅の意義を甚だ大きく感ずるのである。
60~70年になっても村山談話が足枷となり、歴史認識の完全是正が遠のいたのは残念なことであるが、その後、籠池騒動の過程において、教育勅語に関心が集まったのは意外であった。
戦後72年に当り、開戦と終戦の詔勅を襟を正して、眼光紙背に徹するが如く拝読するとき、今の時代にも十分通用する、日本民族の進むべき路線が明らかとなる。
研究し尽くされて、再発掘・秘録といった区々たる歴史の事実というものに目新しさがなくなった今こそ、上記詔勅の意義を甚だ大きく感ずるのである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2017-08-14 20:07 | Comments(0)