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自虐史観を斬る(田中隆吉-4)

田中隆吉の言動は軍人社会においては許すべからざるものがあったことだろう。何故ならば、和平を主張していたという点を除けば、彼の上海事変における謀略工作は、他の戦犯の罪が正当であるならば、彼も戦犯として糾弾されて然(しか)るべきものであったからである。また、彼の証言により、陸軍の過去の軍事行動が誤解と偏見を生み、それが増幅され、自虐史観の恰好の材料となったことは当然のことである。東京裁判の目的は自虐史観の材料により正当化され、達成されたのである。我々はこうした一面を今一度考える必要がある。

昭和17年の武見太郎医師(後の日本医師会会長)による田中隆吉の診断書によれば、家族の病歴として、「精神病素因は陽性。父および祖父が自殺。」、また本人の病歴としては「既往黴毒(ばいどく=梅毒)による麻痺発症に対する不安」云々とある。彼の異常な行動の裏にはこうした精神・肉体面の障害があったことを認めなければならない。

現在は民主体制下にある。従って、世の各レベルの政治的指導者についても、国民・選挙民の利益を損(そこ)なわぬよう、自己の出自を明らかにし、完治しない精神障害の遺伝要素を隠しているのであれば、国民に対し「告知」する義務があると思う。尤(もっと)も、そうなれば、選挙に当選するのは困難となるだろうが。

(註)
『田中隆吉著作集』(昭和54年、自費出版)によれば、子息の手記には、田中隆吉の父および祖父が自殺したことは一言も書かれていない。また、ロッキード事件の児玉が、大森実との対談で、田中は脳梅毒で死んだと断言したことを、昭和21年検査の結果、梅毒反応は陰性だったとし、「全く事実と反する」としている。尚、上記昭和17年の武見医師の診断書では、黴毒は既に治療済で、ワッセルマン反応は陰性、としている。田中隆吉に関する参考資料としては、本人の著書のほか、粟屋憲太郎編『東京裁判資料・田中隆吉尋問調書』(大月書店、1994年刊)がある。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-06-17 20:05 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

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