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台湾インパクト ── 日本の取るべき針路は日台連携・中国謝絶

平成17(2005)年4月に相次いだ「中国」(支那)国内での「反日」デモ及び暴動(日本大使館等への襲撃 詳しくはコラム『145.「反日デモ」の原因は日本にある? 否、全責任は支那にあり!!』を参照の事)については先に触れた通りですが、これに関連して、同月25日、中国国務院(政府に相当)の対外宣伝部門責任者、趙啓正・新聞弁公室主任(閣僚級 右写真)が、共同通信から反日デモによる日本関連施設が被害を受けた問題についてインタビューを受けた際、

「中国は素早く補修作業に入り、言葉より行動で示している」

と述べ、実質的な補償には応じるものの、日本側が要求していた謝罪には応じない ── 謝罪要求を棚上げする考えを強調し、その上で、

「アジア人が持ち味としている曖昧さを通じ、平和的に解決出来ると考えている」

と発言しました。然(しか)し、単に補償すれば済むと言う問題ではありません。事は国際法違反(『外交関係に関するウィーン条約』第22条第2項に抵触)である訳です。それにしても、平成14(2002)年5月の瀋陽事件(詳しくは、コラム『115.「瀋陽事件」で苦しんだ北京 ── 巨大帝国「中国」のお家事情』を参照の事)と言い、平成16(2004)年11月の中国海軍原潜領海侵犯事件(詳しくは、コラム『138.日中友好? 「中国」は日本にとっての仮想敵国である』を参照の事)と言い、何(いず)れも日本側の抗議にも関わらず、最後迄一言の謝罪もありませんでした。そして、今回の趙氏発言。開いた口が塞がらないとは、正にこの事です。

自ら(中国側)は、終戦後60年を経て尚、事ある毎(ごと)に、先の大戦に於ける日本の「戦争責任」を口にし、幾度と無く日本が反省や謝罪を口にしているにも関わらず、決して納得しようとはしません。更には、両国の合意の下、国家による正式な賠償こそしなかったものの、日本はODA(政府開発援助)・円借款等を通じて、莫大な額の有償無償資金協力をしてきました。技術協力もしてきました。それでも、決して「許してもらえない」と言うのに、「中国」側は、

「アジア人が持ち味としている曖昧さを通じ、平和的に解決出来ると考えている」

と嘯(うそぶ)いた訳です。日本は、この様な国と果たして今後も付き合っていくべきなのか? 私は決して、その様には思いません。寧(むし)ろ、この機会 ── 戦後60年を機に、外交の舵取りを180度転回してはどうか?と考えています。と言う訳で、今回は日本外交に対する、私なりの「提言」の意味合いも込めて、書いてみたいと思います。

日本外交に対する、私なりの「提言」。それを一言で言い表すとすれば、

台湾インパクト

と言えます。昭和20(1945)年8月の終戦以来、昭和47(1972)年9月迄の実に27年間、日本にとって「中国」と言えば、それは台湾=「中華民国」(以後、「台湾」と略)の事でした。実際、昭和27(1952)年に、日本は台湾との間に『日華平和条約』を調印しており、国交を持っていました。それが、昭和47年の日本と「中華人民共和国」(以後、「中国」と略)との国交樹立 ── 所謂(いわゆる)「日中国交正常化」に伴い、「一つの中国」の原則を強要する「中国」の要求を呑む形で、日本は台湾と断交し、現在に至っている訳です。然し、その後も、日台両国は民間レベルでの関係を継続する事で、両者を繋ぐ細いパイプを維持してきました。そして、その台湾はと言えば、アジア、いや、世界でも随一の「親日国」である訳です。国交を持っているにも関わらず、事ある毎に「反日」が吹き荒れ、常に日本を貶(おとし)めようと躍起になっている「中国」や韓国。それに対して、外交関係が無いにも関わらず、日本に極めて友好的な台湾。これを放っておく手は無いのです。

靖国参拝問題にしろ、歴史教科書問題にしろ、憲法改正論議(特に九条改正)にしろ、これらを言挙(ことあ)げする「中国」・韓国、そして、日本国内の反日メディアは毎度々々、必ずお決まりの台詞(せりふ)を吐きます。曰(いわ)く、

「先の大戦で被害を被(こうむ)ったアジアの人々の声に耳を傾けろ」

と。然し、マレーシア(旧英領マラヤ)や、インドネシア(旧蘭領東インド)、インドシナ三国(旧仏領インドシナ)と言ったアジアの「近隣諸国」が、例えば、小泉総理の靖国神社参拝に対して中止を求めたり、日本の歴史教科書の記述に異議を唱えたり、日本の軍備に対して注文を付けたりしたでしょうか? 答えは「否(いな)」です。実際、台湾の軍関係者は日本との軍事協力 ── 詰まり「軍事同盟」構築を切望していますし、マレーシア・インドネシアも、海賊が横行しているマラッカ海峡の共同警備に、「日本海軍」(現地では「海上自衛隊」をそう呼んでいる)の参加を求めています。詰まり、アジア全体から見れば、「中国」・韓国の主張は少数派意見であり、極めて特殊な部類に入る訳です。私は決して、少数派意見を等閑(ないがしろ)にしろ等とは言いません。然し、だからと言って、「中国」・韓国の主張を以て、恰(あたか)も「アジア全体の声」として扱うが如き意見に対しては、到底同意出来ません。寧ろ、「中国」・韓国及び北鮮を除いた「アジア全体の声」に、日本はもっと耳を傾けるべきでは無いのか? そう思う訳です。

扨(さて)、以上を踏まえた上で、本題である「台湾インパクト」に話を戻します。私は本コーナー『歴史再考』を通して、「中国」が決して日本の「友好国」等ではなく、寧ろ、「敵国」である事を論じてきました。日本は、先の大戦について反省と謝罪を繰り返し、有償無償の資金協力と様々な技術協力を通じて、「中国」の発展に寄与し、終始、善隣友好関係を維持すべく腐心してきました。然し、その答えは、国家を挙げての「反日」であり、領土(尖閣諸島に対する領有権主張)・海洋権益(排他的経済水域・海洋資源)・内政問題(靖国参拝・歴史教科書・改憲論議)・外交(国連安保理常任理事国入りに対する反対表明)に対する主権侵害、そして、核の照準を合わせる国防上の敵対行為でした。この様な「敵国」=「中国」に対して日本が取り得る、極めて現実的な選択肢(オプション)は何であるか? それこそ、昭和47年以来、断交状態にある台湾との復交と、それに伴う「中国」との断交、

断支交台(支那と断ちて、台湾と交わる)

である訳です。

「中国」は台湾に対して、台湾の大陸への統合(併合)──「祖国統一」を国是としています。そして、当の台湾はと言えば、我々日本人は概して、民主進歩党(民進党)・台湾独立聯盟(台連)に代表される「独立派」(「中華民国」から「台湾共和国」への脱皮)と、中国国民党・親民党に代表される「統一派」(祖国「中国」との統一)に国論が二分されている様に思っています。然し、台湾には、「独立」派でも無く、ましてや「中国」との「祖国統一」派でも無い、もう一つの「祖国統一」派 ── 第三勢力がいる事を、最後に記しておきたいと思います。それは、明治28(1895)年の清国による割譲から、昭和20(1945)年の終戦による放棄迄の50年間、台湾が「日本の一部」(帝国領土)だった「歴史」を懐かしみ、もう一度、「日本に復帰したい」(日本人になりたい)と願っている

「日台併合」(日台合邦)派

の存在です。台湾とて一枚岩では無く、「親日」と同時に、嘗(かつ)ての国民党政権時代の教育による「反日」も当然乍(なが)らいます。然し、「中国」に比べれば、台湾は比べ様も無い程、「親日」です。将来、日本と台湾が再び「一つの国」になるのか否か、それは分かりません。然し、少なく共、日本が選ぶべきは、「中国」では無く、台湾である事だけは確かです。日本の今後の対アジア(対中・対韓)政策の為にも、日本の国防上の観点からも、同じ島国(海洋国家)であり、「中国」に比べて遙かに共有する価値観の多い台湾との関係を強化する事。それこそが、これからの時代の「興国の興廃」(日本の浮沈)を握る重要な鍵であると同時に、台湾にとっても生命線である、日本と台湾は一蓮托生(いちれんたくしょう)の仲である、と私は思うのです。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

(本投稿は、Web『帝國電網省』の「歴史再考」に、2005年6月14日付で掲載したコラムです)

by ayanokouji3 | 2005-06-15 22:50 | 歴史再考 | Comments(0)  

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