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自虐史観を斬る(戦場にかける橋-3)

余談になるが、泰緬鉄道建設後、日本軍が捕虜と東南アジアの労務者のために慰霊碑を建てたことは広く知られていない。西野氏著書にはその碑文の写真が掲載されている。

    泰緬甸連接鐵道建設間不幸
    病ヲ得テ斃レタル南方各國
    勞務者及俘虜ノ爲此ノ碑ヲ
    建テ恭シク其ノ靈ヲ慰ム
     昭和十九年二月 
         日本軍鐵道隊

尚、浜田中将は1945年8月17日、「碁に負けて眺むる狭庭花もなく」の辞世の句を残して自決、享年50歳であった。

(註)
上記の慰霊碑建立のようなことは、南京事件についても言えることである。中支那方面軍隷下、第十軍(司令官柳川中将)の第三(後方)課長(工兵大佐)として南京攻略に参加した谷田勇氏の著書「龍虎の争い」(1984年、紀尾井書房刊)には、概要、次の通り紹介されている。
「南京攻略二周年の1939年12月12日を期して表忠碑を建てることとなった。工事の初めに『中国戦没将士の墓』を建設し、中国将兵の骨を拾い集め篤く葬ったことに感激した所在の村長連が積極的に協力を申し出、多数の中国人が参加した。桜の若木3000本を植えた、広さ50ヘクタールの公園建設は一個小隊(佐藤小隊)の工兵が9ケ月で完成させたという。著者は1957年、元日本軍人訪中団員として新中国を訪問したが、その公園(菊花台公園)が忠烈公園と名を改め、昔の面影を残しているのを見た。佐藤小隊の恩讐を越えた情けある日本武士的行為が当局の感情を動かしたのであった。」
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-06-08 15:10 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

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