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労働者階級と捨扶持(すてぶち)について

今日の労働者階級とは何か。筋骨労働を以て生活の資を得る者が本来の意味であるが、およそ筋骨労働に限らず、教授等の知的労働も含む。知識分子も組織内の上級者の頤使(いし)に甘んずる点では、労働者に外(ほか)ならない。各層の公務員もまた労働者であることを否定することは出来ない。金融機関に奉仕させられる自営業者もまた、実質的には労働者である。

してみると、女子供と退職老齢者といった非生産者層を除き、日本国中が労働者だらけということになる。労働者だらけであれば、階級として区別する必要はなくなる。従って、労働者階級は死語といってよい。但(ただ)し、自ら卑下(ひげ)・自嘲したい向きには文学的表現として使用する余地は残されている。

労働者は物質のために肉体を労し、上長の頤使に甘んじ、時に自己の主張を枉(ま)げ、迎合する必要もある。何の恥ずべきことがあろうか。高等遊民を気取り、其実、社会の「生活保護」受給者となりながら、自分のために心を労するなどと内心嘯(うそぶ)いている輩(やから)よりは余程(よほど)増しというものである。尤(もっと)も、小生にとっては、孰(いず)れも自立しておらず、「当事者」たり得ない人々であることに変わりはないが。

ところで、日本では、戦前、父の若い頃は、居候(いそうろう)、厄介、ごくつぶし、といったいわゆる経済的弱者に対する蔑称を多用したというが、今は絶えて聞かれない。江戸時代の武士階級にも福祉はあった。捨扶持といわれるものがこれで、小生の郷里、肥前平戸藩の1682年の分限帳には23名の男女の氏名が記されている。一例として、
米弐石三斗四升 六合五勺壹人扶持 米倉宗忠後家

(註-0.65升×360日=234升=2石3斗4升=米350キロ程度=現在の米価で十数万円当時金子(きんす)1両が1.2石に相当したので六合五勺壹人扶持は約2両に相当した)
岩波広辞苑には「江戸時代、老幼・婦女・癈疾者などを救助するために与えたわずかの扶持米」とある。

現代的意味でいえば、捨扶持を与えられることを恥とし、医療等の補助で国や地方公共団体の世話にならず、また破綻するといわれて久しい年金制度の恩恵を受けることのないよう、全国民が生涯現役という意識をもって自立するようにしたいものである。それが日本の精神面における国力の回復につながるものと窃かに信ずる次第である。

(註)
台湾の連・宋氏の本籍地への「自分探しの旅」にせよ、中国要人の小泉首相との面談キャンセルに伴う双方思惑の交錯にせよ、韓国側よりの日本外務事務次官批判にせよ、全てが労働者階級レベルの行事であり、齟齬(そご)であり、難癖(なんくせ)に過ぎないと思われる。特に、国内問題のすりかえとみられる後二者を達観するとすれば、その次は何をしたらよいのか、全面屈服か、忍耐・沈黙あるのみか、はたまた反撃に出るべきか、権威ある評論家諸氏におうかがいしたいものである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-27 23:02 | Comments(0)  

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