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学力の低下について

学力とは一体何を指すのか。学力の低下とは一体何を以て低下したとなすのか。祖父の若い頃は漢学の素養を以て教育或(ある)いは学があるとした。父の若い頃は英語である。

漢学の素養は今や時代後(おく)れであり、抑(そもそ)も評価出来る者がいない。また、中級英語のレベルは最早常識となり、学力評価の基準たり得ない。語彙(ごい)力に多少の差があっても実践の場では殆(ほとん)ど差は出ない。

他方、高等数学を弄(ろう)する前に、数字の分析はパソコン上の作表により或る程度可能となり、一層取組み易くなった。

思うに、学力とは所詮或る分野での技能・技術に過ぎず、芸術性や精神力とは本来異なるものである。重視し過ぎるのは問題がある。

さて、世の子弟の学力を一様に論ずること自体、無意味である。低い社会の子弟が読み書きに不自由したり、算術の知識に乏しいとしても、昔からのことであり、今更歎(たん)ずるには及ばない。それは祖父が記したことであり、父より聞いたことであり、何より小生の世代の人間及び小生自身がよく知っていることである。

学力低下を殊更(ことさら)憂慮、強調する教育者自身の学力低下を寧(むし)ろ問題にしたい。
尚、老子には「学を絶たば憂ひなからん。唯(ゐ)と阿(あ)と、相去ること幾何ぞ。」
とあるが、高齢となるにつれ、賢愚・美醜・黒白に無関心となって行くのは小生だけではあるまい。

(註)
昔の尺度を以て今を論じたり、今の価値観を以て昔を批評すること程、愚かなことはあるまい。前者を得意とし、旧制高校出身ということに限りなきノスタルジーを覚えていた、小うるさい、元気なご老人達も、大半は鬼籍に入られた。世の高齢者は須らく俗世を卒業して「成仏(じょうぶつ)」すべし。「成仏」すれば、生死一如、この世の何事にも不平不満なく、一日中テレビでも見て室内で有意義に過せば、若い世代に迷惑を掛けたり、老害を社会に及ぼしたりすることはないと思う。これは二十代の頃から準備しておくべきことではある。台湾の有志諸君、ご参考まで。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-21 19:04 | Comments(0)  

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