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時代の風潮について-3

 3月8日の国際女性デー、10日の東京大空襲79周年、11日の東日本大震災13周年を機にして新聞・雑誌に過激な内容の記事が増えている。毎年3月は大体そうだが、今年は一層その傾向が強いと感ずる。

 温暖化、ワクチン副作用、男女差別、学校でのいじめ、外国人問題ほか、社会・個人レベルにおけるありとあらゆる問題がここぞとばかりに報道され、本当に辟易しているのが偽らざる今の心境である。

 こうした時代の趨勢(すうせい)に逆行して生きて行くのは中々難しく、鷹揚(おうよう)に構えているうちに許されるどころか、刑事訴追や民事訴訟等に迄持ち込まれるリスクがあるというのは余程(よほど)のことをすればの話である。

 輿論(よろん)の分断が比較的少ない単一民族の日本国民といえども行き過ぎた自由には疑問を感ずることもあるだろう。言論の自由を良しとする中国人は日本で目立った活動をすれば本国に睨まれることになる。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 バブル崩壊後もまだ日本が輝いて見えた1990年代半ばに日本人と結婚した中国人女性に聞いたところ、その当時日本人になり切るために涙ぐましい努力をしたという。爾来(じらい)30年、国力は逆転した。国家統一が至上命題である中国にはかなりの危うさがあり、日中間の諸懸案が単に日本の外交努力や歩み寄りといったことでは解決出来ないことは判っている。なるべく厄介な中国と中国人には関わりたくないというのが日本国の方針であり、国民の切なる思いであろう。中国の知識人が日本に好意を抱き、多くを期待したとしても、日本にはこれに答えるだけの素地がない。経済停滞や人口問題についてはそれぞれの国の体制に応じて対処するしか解決策はない。介護保険のない中国と、福祉制度のレベルがかなり向上し介護面では社会主義に近いとも言える日本との立場が逆になっているのは一面皮肉のように映るが、体制が違う国同士の相互研究、国民同士の交流と切磋琢磨は元々無理である。総統選を終えた台湾での有事について中国経済の現状を理由として可能性は低いとの楽観的な立場もあるが、中国の面子(めんつ)を賭けた台湾問題が突出しつあるように関係国には見えており、楽観・悲観の両面の要素が交錯した挙句に偶発的に衝突が起きるという事態を否定出来ないのが何とも不気味で、憂慮すべきことである。学者・評論家・ジャーナリストをはじめ、知識人には多くを期待することは出来ない。政治家のアバウトな判断で事態を乗り切るしかない。

# by ayanokouji3 | 2024-03-13 11:29 | Comments(0)  

時代の風潮について-2

 昔と今ではどちらが生き易いか、幸福かと問われれば、間違いなく今の方が生き易く、幸福ということになる人の方が多いのではないだろうか。それは決して考え違いや偏見でない。

 昔は明らかな身分・男女・学歴による差別があった。今も隠然たる差別は残っているものの、度を過ぎた糾弾が一般的となり、次第になりをひそめつつあるのは世の趨勢なのである。

 衣食住共に、質量の向上を考えれば物価は相対的に安くなった。統計に表われているような生活水準の低下は一部の人達は特に感ずるのであろうが、それにはいろいろと訳がある。

 総じて言えば、社会とその構成員である我々人間が不断に進化しつつある中で、一部の人達が事件・問題を起こした教訓をもとに行われる改善・改良では根本的な解決に至らない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 小生一個人の印象として昔の社会は全般的に薄暗かった。これは古い思想の根底に「尚武」があったからである。「尚武」の気風は勝ちや意地を大事にすることからいじめが横行し、精神至上主義に行き着くことになったのである。それはそれで良い面もあった。他方、厄介事の処理を頼む「ヤクザ」は便利な面も確かにあったが、後々のリスクを考えれば永続的な付き合いは期待出来ず、短命で終わる人達もいた。小生の知る限り、昭和40年代前半迄は「ヤクザ」の存在感があったように思う。「尚武」と「ヤクザ」は縁のある人達が引き寄せていたが、一生を通じて全く無縁の人達の方が多かった。この両面を踏まえてみると、現在の国内外の情勢や社会における種々の事件・事故を分析することが出来る。その一方で、読者の賛意・感動を呼び起すために、所属会社の方針で記者が筋書を作って脚色を加えたかなり偏った報道に一般国民は日々晒されている。心ある人達はそうした偏った多くの記事をできる限り多く読み、「免疫力」を向上させておかねばならない。「免疫力」が十分でなければやがて健康を害することにつながる。心身面で「免疫力」不足の一定数の人達が福祉社会の恩恵に浴するシステムは理想的ではないものの、現状を良しとして、これ以上のものは望むべきではない。

# by ayanokouji3 | 2024-02-26 17:58 | Comments(0)  

時代の風潮について

 陰陽逆転が見掛け上起きつつあり、建前論者と陰謀論者が正邪を論じ、相互批判を繰り返すといった世界では言葉が独り歩きして収拾がつかないように見えるのが残念である。

 併(しか)し乍(なが)ら、何時(いつ)の時代も一般国民の立場からすればどちらに転んでも大した差はないというのが本音(ほんね)ではないか。物価高やワクチンの副作用に翻弄される人達は実に不憫(ふびん)である。

 複雑怪奇の観を呈する国際情勢、国内政治・経済・社会の紛糾も一たび落ち着き、常態化して静観すれば何程のこともない(なかった)といった心境に必ずや至るのであろう。

 国も企業団体も個人も背伸びすることなく、能力を小出しにしてその場凌(しの)ぎの対応に追われている間は大きな懸案が後回しになるというのは却って幸せなことなのかも知れない。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 台湾は実質的な独立国家であることに間違いないが、国際場裡でこれを高らかに言明するような指導者はいない。それは致し方ない。ところで、昨年12月の朝日新聞に中台両国とした4日前の表現を訂正する記事があった。朝日にも良心的な記者はいるものである。意図的なものか、見落としかは当事者に聞いてみなければ判らない。建前と本音が乖離(かいり)しているケースは台湾の地位だけではなく、国内外至るところに存在している。これを決めるのは建前と本音のどちらが一般大衆に受け入れられ易いかという点だけである。有識者の意見は御尤(ごもっとも)もであるが、知見やこれ迄の経緯を重んずる余り、当り障(さわ)りのない内容が表面的に過ぎるという憾(うら)みも時にある。特に歴史認識は紋切り型の解説に終わり不十分である。私怨・思い込みにもとづく歴史認識は公平性を欠いている。神経過敏気味や能天気な作家は請(うけ)売りの説であっても小説に織り込むことは出来る。小説の売れ行きが仮に良いとして、そうした歴史認識を一般大衆が信ずるか否(いな)かは別の問題である。一般大衆も信じていると吹聴(ふいちょう)するのはマスコミの役目である。最近つくづくそのように考えるようになって来たのは小生が十二分に年長(た)けたせいであると思う。
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# by ayanokouji3 | 2024-02-13 13:14 | Comments(0)  

コロナ後の社会について

 天災を除き、コロナ猖獗(しょうけつ)の時期が過ぎて安穏(あんのん)たる日々が戻って来たのは結構なことである一方、情報過多の管理社会となり、適性の有無は判断能力と機器操作のレベル如何(いかん)となった。

 便利・不便の観点から言えば実に便利な社会となっている。これ以上の便利さは最早望めない。管理社会はまた監視社会でもある。日々監視カメラを利用する小生も効果を認める。

 ネット社会で被害に遭わないためには精神の安定が必要である。精神を安定させるためには知識が必要である。知識を増やすためには先ず己が立脚する出自を解明するしかない。

 所属団体、地域社会、日本社会に馴染めない人達は犯罪に走らない引きこもりとし、安寧秩序を乱させぬようにする、少数の精鋭が担う福祉国家がコロナ後の社会の理想である。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 1月23日の日経新聞1面の「春秋」には主人公がホームセンターの店員、路線バスの運転手、トイレ清掃員という3本の映画を紹介し、「内面の生活さえ豊かならば人は幸福でいられる」とあった。コロナ後の社会における幸福とは何か。変化する環境を克服するために何時(いつ)の時代もその維持には、情報を取捨選択せねばならず大変な努力を要するものと思う。成功者の自慢話や「敗軍の将兵を語る」式の失敗談は参考とならない。一部の人達の内面の豊かさとは一時的であったとしても金銭・権力面で優位に立つことであり、これを否定・批判することは出来ない。若い頃は大いに追求した方が良い。その上で限界を知り半ば引きこもり的な天職を得て、「自分ひとりを満たすものだけに囲まれた静かな生活」として老後を豊かにするのであれば実に結構なことである。そうしたことを踏まえて上記の「春秋」を熟読玩味すると中々味わい深いものと感ずるのである。

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# by ayanokouji3 | 2024-01-25 14:09 | Comments(0)  

台湾総統選について-2

 台湾総統選の結果は大方の予想通り、民進党候補の勝利という結果となった。ここに至る迄には中国による様々な画策と干渉があったものの「中華民国台湾」の形は一応整った。

 併(しか)し、これからの紆余曲折は一層激しさを増して来るのではないだろうか。中台間の小競(こぜ)り合いが生じた場合の善後策は期待出来ない。民進党政権は一に忍耐、二に忍耐である。

 その場合、内政面が最も安定しているように感じられる日本が、日台協和の実を生かして国際輿論を主導する役割を米国と共に一層果たすことが求められるが、これは可能だと思う。

 国際輿論を無視して台湾に手出しすることになれば後々の影響が出て来るのは十分判っていると思われる中共が十分な準備と確信なしには動かぬことが楽観ではないことを祈るのみ。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 元旦突如発生した最大震度7の能登半島地震に関する各種報道は太平の眠りを覚醒させるには十分であった。喉元(のどもと)を過ぎても熱さを忘れないような激甚災害に遭うことはなくとも小規模での擬似体験をする機会は一生の中には必ずあると思う。激甚災害ではない通常の事件・事故は、アレルギーや癌の体質がある一部の人達が敏感にとらえることの出来る、肉眼では見えない所謂(いわゆる)妖気や邪気によるもので、予兆として怪奇音や異臭として表われて来るようであるが、科学的な根拠のない単なる推測である。とはいうものの、国民のそうした不安が大災害を招くことになるのではないか。中台衝突があるとすれば大災害であり、台湾の位置づけに関する日本の立場を明確にしておかねば何とも太刀(たち)打ち出来ない日が必ずやって来ることであろう。「昔は良かった」式の時代錯誤的な考えは通用しなくなって来た。目下日本の政治・経済・外交のレベルが劣化しているという兆候はないが、物事の進展の速度が一層激化しつつある中、日本を取り巻く情勢を余程(よほど)慎重にとらえて対処しておかないと国家社会・企業団体・個人それぞれが時代遅れとなる。日本が国として台湾問題に深く関わることは日本の体制を見直し、改善する上でも大いに利することになるものと思う。

# by ayanokouji3 | 2024-01-15 12:25 | Comments(0)