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日中友好について-3

 先日、旧知の中国人と5時間に亙(わた)って面談する機会があった。これ迄は過去および現在の中国の体制について口の重かったその人から大躍進の時代以降の忌(い)むべき暗黒史観を拝聴した。

 文革の被害は子孫に至る迄語り継がれていることをあらためて知ると共に、洗脳が人民に与える影響の凄まじさは筆舌に尽くしがたいものであると感じた。同情すべきことである。

 日中友好とは、不信・決裂・戦争という過程の対角線上にあるのではなく、別次元の理想的な姿であり、この実現には両国政府の方針に沿う理性的で文化的な活動に待つしかない。

 その点では関係の一層の悪化を食い止める位以外に、日本が中国に期待出来るものは殆(ほとん)どない。長期交流の歴史が現代の潮流に呑み込まれて仇(あだ)と化したのは残念なことである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 日中平和友好条約発効45年といっても現時点での両国関係からすれば全く白々しい。現実的ではないものの、この際思い切って条約を見直し、一からやり直すのは一考の余地がある。相互不信のまま綺麗事ばかり並び立ててみても諸々の課題は一向に解決しない。誤解が誤解を生み、新たな対立が連鎖的に発生する。日本人は中華思想を十分に吸収・咀嚼(そしゃく)した。中国人も日本の良いところ、悪いところは十分理解していると思われ、最早(もはや)これ以上の交流と友好関係の発展は見込めない。必要な貿易だけは細々と続け、台湾問題は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(日本国憲法前文)、解決するよりほかに道はない、といった悲観的な見方も可能ではあるが、国民・人民の間では混血を含む人的な関係が深まりつつあるのも事実であり、小生から見れば欧米人や東南アジア人と比べれば、中国人は韓国・朝鮮人と同じく赤の他人のようには思えない。建前と本音を使い分けるのが賢明であろう。

# by ayanokouji3 | 2023-10-25 11:58 | Comments(0)  

日中友好について-2

 11日の新聞に「言論NPO」等の世論調査で中国の印象が良くないと答えた日本人が92.2%、日本の印象が良くないと答えた中国人が62.9%という記事があった。

 この数字の正確性はともかく日中関係が冷え込んでいることはいう迄もなく、最重要の台湾問題や先般の処理水問題を含め、今後も好転する見込みはない。

 情報戦・認知戦・歴史戦・ナラティブ戦といったものは中国側が執拗に仕掛けて来て、特に昭和50年代後半以降、日本は脚色された歴史に翻弄され続けた。

 党主導の「被害者ビジネス」を立ち上げた中国側に対し、平謝りの「加害者ビジネス」を展開した日本側に経済面で一種の打算があったことは否定出来ない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 小生は初対面の中国人には必ず出身地をたずねるが、馴染みのある地名が出て来ると何となく安心する。最近知り合った中国人は瀋陽2名、鉄嶺1名である。 前者は小生の短期滞在の地、後者は明治40年代に祖父が軍人として勤務していたところである。国も年齢も異なれば意思疎通は困難に思われるものの、実は日本人同士よりも容易と感ずる場合もある。個々人の活動・人生などといったものは全世界・歴史の中では微粒子以下に過ぎない。そうしたことをこの歳になりあらためてつくづく感ずるのである。個人・国家間の関係も同じである。様々な経緯・条件のもとに関係が形成され、それが永続するのが必然となる。日中関係それ自体を高い次元の視線で彼此論評しても甲斐はない。実際に起きている現象面を把握して如何に対処するかは知恵者の能くするところであろうが、必ずしもうまく行くとは限らない。危機意識を煽り立てることも時には効果があるように思う。

# by ayanokouji3 | 2023-10-13 10:07 | Comments(0)  

日中友好について

 今時日中友好とは美談めいた、古臭く感じられる表現ではあるが、両国ではそういう方向となれば良いと真剣に考えていた時期もあったように思われる。

 「米唱日随」を運命づけられ「日本化」した日本国と中華帝国統一の悲願を持つ中国との間では真の日中友好は困難というより不可能であると言って良い。

 国民・人民同士は一定の相互理解が可能というのは知識人的な見方であるが、それには相手方の言語・文化の理解が前提としてなければならない。

 そうした理解がなく漠然としたイメージで両国関係が良い・悪いなどと洗脳されて来た国民・人民にも問題があると思うのは小生のみだけではないであろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 どの国においても政策の恩恵を受けている人達は国への忠誠心があり、迫害されていれば反感を持つ一方、いずれでもないと考える人達もかなりいるように思われる。中国での現体制を良しとする人達は日本の福祉社会に溶け込んだ人達と同じようなものである。然(しか)らば地域・国としての所属が完全には未確定のまま、何十年も据え置かれている台湾人は如何(どう)であろうか。ここで台湾の歴史を紐解き、日本の役割をあらためて見直し、日本統治下の50年は有意義なものであったとの公式の見解を前提として、制度設計は容易ではないが、日台合邦論とは決して荒唐無稽の夢想家的発想ではない。最早(もはや)現状維持を突き進むのではなく、日台の過去と現在を踏まえた、現実的な選択肢の一つとして、将来の紛争に備えるために正式に検討すべき時期に達している。これを理解せずして真の日中友好はあり得ない。

# by ayanokouji3 | 2023-09-25 12:36 | Comments(0)  

「吉田茂ならどうするか」について

 9月11日の日経朝刊の「風見鶏」で編集委員が「吉田茂ならどうするか」との見出しで1960年当時、吉田氏が米国の中国封じ込め政策に批判的であったことを紹介していた。

 ニクソン大統領の訪中、電撃的和解、田中首相による国交正常化から50年余、「関与政策は激しい批判にさらされている」「日本はどう向き合えばいいのか」と締め括る。

 さて「安倍晋三ならどうするか」と冷静に考えれば、嫌中的な国民には知られぬまま、表面上は封じ込め、実質的には関与という実利的方向を米国に認めて貰うのではないか。

 泉下の吉田氏が現在の日本外交に60年前と比べて特段の変化がないものと観ずればそれで十分であると思う。理想的な外交などというものは本来期待出来ないからである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 22周年の911テロ事件は年月を経て風化したのではないか。3年前にも記したが、小生はその1年前の9月にワールドトレードセンターの屋上で好天下の眺望を楽しんだ。1年後の9月に跡地を見に行った。その後、ワシントン・フィラデルフィア・ボストンにも行ったが、全般的に緊張感よりも虚脱感がただよっていた。今となっては誰が犠牲となり、誰が生き残り、何が背景にあり、誰が首謀者で、誰が罰せられたといったことは忘却の彼方となりつつある。この世のことは時の移ろいと共に消滅して行き、わずかな遺跡や歴史書といったもので後世に伝えられ、時に改変・捏造が行われるのは止むを得ない。何が真実で何がフェイクであるか、何が嘘と真をこきまぜたものであるかは、理性的な国家指導者やまともな国民が判断するしかないことである。他方、一定期間を過ぎた出来事なら兎も角、進行中の事件や事故に如何なる要因があるのかを正しく知りたいという人達はそれぞれのレベルで知ることが出来るものと思う。

# by ayanokouji3 | 2023-09-13 20:47 | Comments(0)  

国家間の関係について

 国家間の関係というのは即ち国民の間の相性次第であると思う。背景として各国での報道を含む、過去および現在の国民に対する洗脳活動に影響されるところが大きい。

 日米は和親条約締結より既に169年、恩讐を越えた強固な関係は日本外交の基軸となっており、この中で日台関係の維持・強化が展開されるという現実は変わっていない。

 中共・ロシアは独特の主義・主張を持つ国家であり、日本とは信頼関係にはないが、表面上の和平を貫くという観点から蛇蝎視することには意味はなく、逆効果である。

 日本としては八方美人を標榜しつつ、国際的に離合集散を繰り返す国々であっても友好国として遇し、何らかの絆を残しておくのが長期的に見れば得策であると言える。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

(補記)
 小生は1976~78年の2年間、虎ノ門の霞山ビルの中の東亜学院(東亜同文書院の同窓会運営)の夜間講習の初級から中級クラスで中国語を週2回(計4時間)学んだ。台湾人で東大の博士課程に所属する講師が、その数年前に国連を追放されていた台湾の複雑な国際的地位には敢えて言及しなかったことや、非常に真面目な人で学ぶべきものが多かったことを鮮明に記憶している。ところで、小生は現役時代には仕事や私用で、欧米人とのやりとりがあり、英国人の皮肉と米国白人のジョークには一目置いたものであった。それに比べてドイツ人や日本人の物言いは大体においては真面目なものである。一個人の体験や感想が全体にあてはまるとは限らないが、この真面目さもまた敗戦の一要因かも知れない。勝敗は遠い昔の一時のことで、今後の各国との友好的な関係の方がより大切である。

# by ayanokouji3 | 2023-08-25 14:55 | Comments(0)