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日本を良くする方策について

 新聞・雑誌或いは単行本には、日本が迎える様々な危機が懇切丁寧に説かれており、記者・著者達の熱心さには本当に頭の下がる思いがする。

 ただ、日本を今後良くするための方策については、国の財政の健全化をはじめとして、何か知らん小手先のことが多いように感ずるのである。

 その究極的な方策とは、国民一人々々が悪い想念を抱かぬようにすることである。嫉妬の炎に駆られず、全てを諦めつつ、世の泰平を祈るとき、浮かぶ瀬もあるというものではないだろうか。

 だからといって、能天気に日々を過ごせば良いというものではない。個人の倫理・宗教観を確立するため、孜々として励まねばならぬ。嗚呼、難き哉。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-31 21:29 | Comments(0)  

外国人の若者について-1

 小生は外国人の若者と話す機会がままあるが、日本語の出来ない韓国人や中国人には疑問を覚える。一定の素養を積んだ上で来日してほしいのである。

 今日は久し振りにインドネシア人の若者と話し、徒歩で近所を案内した。インドネシア人に特有な一種の人間的臭味がないので、外国にいたのではないかとたずねたところ、父親の仕事の関係でシンガポール・ニューデリー・カトマンズに5年程いたことがあるという。

 ヒアリングや発音に難点なく、日本語が確かにうまい。日本語を学ぶ動機はアニメだという。小生は漫画は小学生迄のものだと信じて疑わないので、外国人の若者が何故にかくも興味を示すのか判らない。併し、語学能力の向上に役に立つのであれば大変結構なことである。

 日本が好きで、深く理解する外国人の若者の顔つきが日本人に似て来るのは不思議ではない。そうした外国人達の活躍する場が漸次拡大する方向となることを望むものである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-30 22:25 | Comments(0)  

読むことの効用について

 最近は「晴耕雨読」ならぬ「晴読雨読」にいそしむ日々を送っている。感傷的な表現のない、淡々とした客観的な見方の新聞記事に触れ、また、話題の単行本や雑誌の広告を見て、直ちに購入して読むのは新鮮に感ずる。

 他方、中国古典文学をあらためて読み返してみるのは非常に参考となる。これに勝る読書の楽しみはないが、中国古典につき共に語ることの出来る知人達が亡くなってしまったのは実にさびしい。

 読むことの効用は単なる知識を得て学を衒(てら)うことや、他人の知恵を借りて小賢しく振舞うことではなく、脳を活性化させ若さをアピールすることでもない。仏道修行の一環である。

 「晴読雨読」を続けつつ、時折、生々しい現実に触れ、人生の意味を考え直すという、余り刺戟的ではない生き方こそ高齢者にとって望ましいと思う。尤(もっと)も、これは天災に遭わぬ前提の上でのことである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-29 21:17 | Comments(0)  

原発問題について

 原発問題は先が見えない状況のまま、海水注入中断をめぐる責任の追及が肩すかしにあったような何ともしまらない話である。

 「メルトダウン」というおどろおどろしい言葉も最近になって起こっていたことが判明した訳だが、当初の段階でこれを声高に話していたら、国民にかなりの動揺を齎(もたら)したことだろう。

 国民に対して、矢張り、或程度迄「由らしむべし、知らしむべからず」の形にしておいた方が幸せなのではないか。

 原発事故の全体像と効果的対策が明らかにならぬ限り、幾等(いくら)責任追及を続けても醜(みにく)い争いとなるばかり、それにしても、津波・原発共に専門家の面目は丸つぶれである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-27 21:32 | Comments(0)  

中国地下教会について

 中国人のキリスト教信者や最近の中国を良く知る日本人より地下教会が急増しているという話は耳にしていたが、果たして、本日の日経夕刊に「中国地下教会 信教の自由訴え 全人代委員長に誓願」という香港発の小さな見出しの記事があった。

 呉邦国委員長宛書簡を送り、「憲法が保障する信教の自由の実現を訴えるとともに、現行の宗教政策の根拠
である条例に疑義を提示」、北京、上海等、計20の地下教会の有力者が名を連ねた、とある。

 法輪功のように公然と政府批判を行う団体は兎(と)も角、地下教会組織が表面に出て来るということは、その勢力が一定のレベルに達していることを意味している。

 本件の帰趨(きすう)が如何(いか)に成り行くや、中国政府とバチカンの対立や地下教会を支援する他国の新教団体等の動きも含め、非常に興味深い。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-23 22:02 | Comments(0)  

大震災の被害について

 4月3日の『東日本大震災について-17』にて地震による建築上の被害状況につき意見交換を行ったことを
記したが、本日、浦安および仙台の被災状況を紹介するセミナーに参加したところ、「体験者は語る」で、他人事とは思えない緊迫感のある説明振りであった。

 被災は想定外のことが多く、危険区域や脆(もろ)い家屋群ととされていたところが無傷、対策・体制が整っていたところが意外にも被害が大きく、「備えあれば憂いなし」が大震災には当て嵌(は)まらない部分もあったようである。

 大震災のすさまじさは正に人知の及ぶところではなく、真の宗教の救いなかるべからざる範疇(はんちゅう)と言えよう。

 因果応報、善因善果の現出する世界は、矢張(やは)り凡人には窺(うかが)い知ることの出来ない深遠な道理が通用しており、これを追究することは無駄とはいわずとも、敢えて行う必要もあるまい。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-22 22:09 | Comments(0)  

1990年代以降について

 バブル崩壊、宴の後の1990年代は当時何とも言えない不快感があった。併(しか)し、2000年代の初め頃には、90年代は後から振返ってなつかしい時代と思える時期が来るのではないかと感じたが、実際にそうである。

 今回の大震災はこの20年間の総決算であり、これからの20年間を考えれば、40年間の中間決算である。

 90年代に先が読めなかった各国政府はもとより、企業・個人でも、欲を言えば2000年代初頭、遅くとも2005年、更に遅くとも、リーマンショック前にそれぞれに然るべき実行可能な目標を掲げ、環境の変化に対処すべきであった。

 それが出来たところと出来なかったところで、国家・企業・個人間に格差を生じ、負け組と自認するあたりからは恨み節が聞こえて来ることとなったのである。如何(いか)なる状況・境遇にあろうと唯我独尊を貫くことの出来る国家・企業・個人は別にして、宗教やその組織に縋(すが)るという方便・便法は悪くない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-20 22:40 | Comments(0)  

「禅的生活」について

 2003年に刊行のちくま新書『禅的生活』(玄侑宗久著)を読んだ。その本が刊行される前に、著者の講演会で大体の話を聞いた覚えがあるが、かかる大震災の後にあらためて読んでみると、「禅的生活」というのは非常に有意義なもののように感ずる。

 人間の煩悩は脳機能により生じ、脳機能が停止したときに悟りを得る。「お悟り状態は、生活の役に立た」ず、「お悟り状態でその辺にいられたら、じつは邪魔になるだけ」というのは至極明快である。

 禅問答における禅語は含蓄がある。中年以降は、俗事にまみれつつ、他方では開き直って禅的な要素を意識し、取り入れて、曖昧さと厳格さの間を往き来するというのも面白い。

 結局、実社会では無益な、悟りという限界迄近づいてみた上で引き返し、程々(ほどほど)の志を以(もっ)て程々の人生を送るというのが我々凡人の理想的な生き方であると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-19 21:24 | Comments(0)  

信仰について

 大震災のときに狼狽(ろうばい)し、放射能の危険が指摘されるや、全身をコートやマスクで覆っていた宗教信者が、メルトダウンの言葉を聞くや、不安でたまらないという感じで小生にたずねて来た。

 何と信仰心の薄いことか。「健康な人に医者はいらない」というが、逆に不健康だから宗教に身を委(ゆだ)ねるのか。否(いな)、そうではない。

 メルトダウンの状況および今後の見込みについて不安であれば、外国に逃避すれば良い。併(しか)し、外国も場所によっては安全地帯だとは限らない。

 「黙示録」による選別を受ける覚悟があり、その信仰に誤りがないと思えば、何も怖がることはない。「○○読みの○○知らず」とはこのことである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-17 21:40 | Comments(0)  

ボランティア活動について

 被災地で長期間ボランティアを続けている或(あ)る団体の人より、石巻の一老人より感謝の印として受取った木の柱の一部に「友情」という字が彫られたものを見せて貰った。

 かなり傷み、黒ずんだ表面に津波のすさまじさが刻まれ、記念の品として永く残しておくべきものと感じた。

 異臭が漂(ただよ)う中、いたいけない子供達が飛び上がり乍(なが)ら「有難(ありがと)う」と言っていたという。

 現地に行っていない小生も、これ迄の生き方に醒覚を促(うなが)される話であった。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2011-05-16 21:55 | Comments(0)