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微罪適用について-2

微罪が適用とならない例を挙げれば、ゴミの問題がある。

ゴミの分別を誤って出したり、事業系のゴミを家庭用として少量出しても、それだけで罪に問われることは実際上ないが、そういった細かいところを管理するのを地域社会に押しつけても、一向に改善はみられない。

国民が志を高く保つようにするには、ゴミといった卑近なことから己を律し、それを他へ押し拡げて行かせることが社会に必要と思えてならない。

ゴミの不始末への微罪適用にも一理はある。

(補記)
資源をリサイクルするより、ゴミとして一括焼却した方がコスト面でメリットがあるとの見方もあるが、物事は全て良し悪しである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-30 20:46 | Comments(0)  

微罪適用について-1

教育基本法の改正では国家管理が強まるとの懸念も一部にはある。

東京新聞の29日付朝刊によれば、許諾なく店でビートルズを演奏したり、手品で硬貨に穴を開けたり、家にナイフを所持したりしていたとして、微罪が適用され逮捕されるというケースが最近続いているという。

微罪適用では別件逮捕と一罰百戒の両側面があるが、気の弛んだ社会には、或程度の荒療治も必要ではないか。

国家管理を明確に打ち出すことで、犯罪の抑止効果は確かにみられると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-29 20:21 | Comments(0)  

憲法改正問題について

教育・労働問題が目下の争点となっている中、憲法改正問題はその影が薄い。

日本国憲法は本来無効とする立場からいえば、憲法改正というのはあり得ない話である。

有効論の中の改正説、革命説には牽強附会的側面があるので、政治的には定着説が妥当となっている。

日本国憲法無効論は、帝国憲法に執着する余り、現憲法を「不出来」として蛇蠍視するものではなく、法理上無効としているのであって、漸次改正により現憲法の打倒を目指すこととは相容れないものであることに留意すべきである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-28 19:54 | Comments(0)  

石原都政について

石原都知事の四男の海外出張に関し、一部で都知事の都政私物化が取り沙汰されている。

一旦矢面に立たされた政治家が、汚職・腐敗の問題に如何に対処するかは、その人の平生の信条以外によるべきものはない。

かつて美濃部都政の放漫経営を立て直した鈴木都政も、バブル崩壊により、最後は哀れであった。

社会的地位の上下を問わず、晩節を全うすることは難しいものと、つくづく思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-27 19:45 | Comments(0)  

復党問題について

政治的倦怠感は復党問題に端的に現われているといってよい。

平沼氏を含めた古手の姿は、恰も古女房が舅・姑や嫁ぎ先のしきたりに不満で、実家に出戻ったはよいが、戻り兼ねている姿のようにも映る。

政治家の出処進退のもたらす得失は、後の結果によって明らかとなるに過ぎない。

男であれば、復党はきっぱりと諦め、剛直の士としての名声を大事にした方がよいだろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-26 15:25 | Comments(0)  

政治的倦怠感について

経済的には頂点を極めた我国であってみれば、個々人がこれ以上のものを求めることも、反対に生活の質を下げることもままならない。

昨今大きなニュースが払底しているせいか、刺戟なく、政治的な倦怠感が漂っているような感じがする。

政治に多くを期待するのは間違っているが、同業者間の揚げ足取りの連続であれば、興味も支持も半減する。

これも、政治的には安定している日本に住む人々にとってのないものねだりなのだろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-25 20:41 | Comments(0)  

歴史再考塾について

竹下氏の第3回歴史再考塾が昨日開催されたという。

歴史認識は国家のみならず、個人にとっても大事なもので、これなくしては日々の生活をも適切に律することは出来ない。

日本人の歴史認識は10年程前に比べれば、大分ましになったと思うが、曖昧さの払拭という点においては未だしの感がある。

竹下氏の志を多とし、歴史認識の観点から日々国家観、歴史観を謙虚に見直して行きたいものである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-24 18:13 | Comments(0)  

精神作興について

先般、竹下氏より伊勢神宮参拝予定との連絡があったとき、これは個人レベルにおけるこよなき精神作興の機会であると感じた。

個人にとって祖先探求か、国民精神のあるべき姿を考えるのか、何を以て精神作興とするのか、人それぞれではあるが、神道を通じて日本の将来を考えることは素晴らしいことだと思う。

ともすれば、過去の残滓に浸り過ぎ、己を見失うことの多い中、新たな誓いを胸にして参拝すること程尊いことはあるまい。

小生も自分なりに精神作興の糸口を見出してみたい今日此頃である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-22 19:07 | Comments(0)  

環境問題について-3

翻って、日本の現状を考えるに、志は高くとも、豊かさが生活を簡素にすることを妨げている。

今更江戸時代の生活に戻ることは出来ない。また、人が多ければ多い程、環境汚染は進行する。

小生が小学生の頃、雑誌で地球人口が将来60億になると書いてあるのを見て、人口が爆発的に増大したら食料がなくなるのではと子供心に心配したことは懐かしい思い出である。

エコロジストの鳴らす警鐘が現実化して来た今、人口問題は世界大で取り組まねばならぬ。少子化が環境問題解決の究極の捷径であると考えるのは邪道だろうか。
(此項畢)

(補記)
生きるということ自体がエネルギーの浪費になることを考え、社会に貢献する機会を積極的に見出さねばならないと常々考えている次第である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-19 20:25 | Comments(0)  

環境問題について-2

また、インドネシアの元人口・環境大臣のエミル・サリム氏(76歳)の講演は、Plain living, high thinking(生活は簡素に、理想は高く)という概念の重要性に集約されていた。

途上国では何時(いつ)の時代もリーダーの理想は高くとも、実際には貫徹出来ないのは無理からぬものがある。

同氏の講演内容はレベルが高過ぎて、小生の如き俗人には理解出来ないところが多かった。

それが環境問題の本質であろう。

(補記)
財界の大御所稲山氏の「我慢の哲学」、大槻氏の「ハンブルライフ」、土光氏の質素な生活振りは日本人の精神主義の残滓とも言えるが、当時は感銘を受けたものであった。「生活は簡素に、理想は高く」は詩人ワーズワースの言葉であるという。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-11-18 21:18 | Comments(0)