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台湾情勢について-3

国際的には、台湾問題が日米中を巻き込む火種であることは確かであり、2年後の総統選に向けて一層エスカレートして行くことは明白である。

日本は日中共同声明の建前から、何(いず)れにせよ動くことは出来ない。台湾与野党の駆引を傍観するのみである。

靖国が台湾との間で外交カードになることもなく、日台関係というものは、静かに推移して行くのではないだろうか。

台湾は日本がアジアで唯一対等に付き合える相手であると思う。それは両国民の精神レベルの同一性が然らしめているのである。

さて、3月29日の『産経新聞』朝刊第7面には、28日から台湾が東部沖合で軍事演習を始めるとの『自由時報』の記事を紹介している。

日本の立場としては、台湾問題について百万言を費やして長々と論じても、結局のところ、台湾が中国の領土の不可分の一部であることを日本が「十分理解し尊重する」という日中共同声明の趣旨を、予想される有事の前において、堅持すべきか否かということに尽きるのである。

台湾が如何に演習を行っても、如何に対抗策を講じても、相手方を牽制しても、事が起きてからでは遅い。

「狼少年」となるの愚は避けなければならないが、さりとて、上品に構え続けることの愚もまた避けなければならない。台湾問題の本質はここにあると思う。

(註)
アジアの中では、最近タイが騒がしい。如何せん、同国はそのレベルであることを小生は経験上知っている。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-30 22:33 | Comments(0)  

台湾情勢について-2

選挙はやってみなければ判らないが、仮に国民党政権が誕生するとしても、日台関係は日韓関係のようになるとは思われない。

中台関係について言えば、パンダの問題は4月中には結論が出るようである。台湾が正式に受入れを拒否した場合、中国は如何なる態度に出て来るか、中国人民の声を如何なる表現を以て「代弁」するのか、予測は出来ない。

馬英九氏が代表する国民党のスマートさと陳総統の象徴する田舎臭さは対照的である。

尤(もっと)も、馬英九氏も少数民族の衣装を着たりして、台湾らしさをアピールしている様子である。

(註)
現在の日韓関係といっても「舌戦」であり、大統領の発言も内向きのものであることは明白である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-28 21:20 | Comments(0)  

台湾情勢について-1

昨年12月の立法委員選挙が国民党の勝利に終わった後、元旦の陳総統メッセージが注目され、中国全人代を前にして、「廃統」・「終統」の議論が沸騰したものの、嘉義の補選は再び国民党の勝利となった。

馬英九氏は訪欧からの帰国後、台独も選択肢にあると発言し物議を醸したが、その後現状維持を説いたりして、民進党切り崩しに躍起となっている状況と言える。

その一方で、2年前の総統選の「疑惑の銃弾」糾明の動きが出て来たり、蒋家の銅像の移転の問題が報道されたりしているうちに、馬英九氏はワシントン詣でをした。

2年後の総統選に向けて準備着々といったところである。

(註)
馬英九氏は今年訪日の予定であるという。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-27 18:18 | Comments(0)  

情報社会について-10

縷々(るる)書き綴ったが、結論として情報社会は様々な教訓を我々に与えて呉れる。これを乗り切るためには、自立・自省・自重が求められる。

人間社会は静謐(せいひつ)にして時として動き、喧騒の中で止まっているやに見える。他方、個々人にとって吉凶禍福は糾える縄の如く往来し、また人生は無常である。

此道理を弁えて日々過せば、天より咎められることはないと思う。

小生は次の通り述べて、此項を畢(おわ)ることとする。
噫、偉大なる哉、天道。有難き哉、天命。孜々としてこれ努むる而已(のみ)。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-26 21:42 | Comments(0)  

情報社会について-9

さて、情報社会の弊害として、何らかの力が作用して不知不識(しらずしらず)の裡(うち)に思想統制が行われていることがある。

例えば、保守思想関係の一部サイトが公共図書館のパソコンでアクセスが規制されているという事実がある。その規制の基準や誰の思惑により規制しているかという背後関係が全く明確でない。

今のところ、一般のパソコンで閲覧出来るので問題はないが、上記規制の背後にある力が他国や他国関連団体の圧力であるとすれば、大きな問題である。

仮にそういう規制に遭ったとしても、冷静に構え、日頃から他国人と交流・接触することにより、一般に漏れて来ない関連団体の事情を調べておくことも将来のために必要であろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-25 19:57 | Comments(0)  

情報社会について-8

小生にとって意見の相違が甚だしい人々は往々にして情報を発信する側にあるが、次のような傾向があるのを認める。
  1. 「教養」主義に堕し、外国語(横文字)や古典(難解な漢字)を多用する等、ファッションとして知識・情報を弄(もてあそ)び、衒学(げんがく)的ですらある。

  2. ネット上の情報、特に海外の情報の真偽につき検証することなく安易に紹介することがある。

  3. 大衆を惑わすような妖言-一例として国家財政破綻による経済の大混乱-を以て社会不安を煽りたがる。

  4. 文章が簡潔ではなく、従って論旨が明確でない。

  5. 己一人が憂国の士であるかの如く、余りに高く自らを持すことにより、バランスのとれた、幅の広い、ゆとりある主張が出来ない。
彼等に猛省を促すと共に、自戒の料(かて)と致す次第である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-24 18:59 | Comments(0)  

情報社会について-7

小生の考える、情報社会への対処法は次の通りである。

先(ま)ず、文辞を弄した、冗長で修飾の多い文章や資料には警戒することである。同様に、機知に富んだ、箴言(しんげん)・警句の類(たぐい)で、憂国を装った提案や主張には注意を要する。

次に、警察や裁判所の世話にならないように常日頃留意しておく。また、環境・人権保護に名を借りた地域エゴや市民運動には安易に加担しない。更に、身体の調子を数値化し、薬剤投与を以て事足れりとするような医術には信頼を寄せないことである。

意見の相違が甚だしい人々とは、「仏縁」がないものとして、一定以上は論争しないことも必要である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-23 20:10 | Comments(0)  

情報社会について-6

情報社会の主役たり得ずとも、情報社会に毒されず、自立した生活を送ることは可能である。

そのためには全てのことに懐疑を抱き、唯我独尊の姿勢を貫くことである。

併し、これでは余りにも侘しい。

周囲の人々と基本的な嗜好を同じくし、時として喜怒哀楽を共にすることこそ「中庸」の徳であると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-22 21:10 | Comments(0)  

情報社会について-5

玉石混淆の情報のうち、何(いず)れが「玉」であり、孰(いず)れが「石」に過ぎないのか、自ら判断出来なければ主役にはなれない。付き合う相手のうち、誰が本物で誰が似而非(エセ)なのか、真贋を峻別しなければならない。

それは「利」とは別の観点であり、情報社会に生き残る智恵ということが出来る。

他方、主役として生き残るばかりではなく、敢えて落伍することを否定するものではない。民主主義社会において生き残るのか、落伍するかは個人の自由であり、落伍する方が却って倖せということもある。絶対評価というものはない。

「人間(じんかん)到る処青山あり」とは至言である。

(註)
「人間到処有青山」とは本来退嬰的な意味合いのものではないが、幅広く応用出来ると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-20 20:09 | Comments(0)  

情報社会について-4

歴史認識に関する陥穽(かんせい)とは、歴史の本質が教科書、市販の歴史書、甚だしきに至っては「司馬史観」といった逸話・挿話・説話集にあるものと錯覚し、これを無批判に受入れ、固信することである。

これほど不幸なことはあるまい。何故なら、自らの立脚点を持たず、他人や他国からの歴史の押し付けにも不用意に迎合する可能性も出て来ることになるからである。

歴史とは過去に存在した人間達の営みの系譜ばかりではない。現在生きている人々の生活に如実に反映されている。このことを知らずして江戸・明治時代を美化したり、戦前の昭和を貶(おとし)めるのは間違っている。

皮相な物質世界に生きている人々が、自らを情報社会の主役と思い込んでいるのは笑止に堪えない。

(註)
1985年、小生は『韃靼疾風録(だったんしっぷうろく)』につき感想を司馬氏へ送ったところ、丁重な内容の自筆の葉書を得た。司馬氏の功績を完全否定している訳ではない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-03-19 18:03 | Comments(0)