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ドラマ『大地の子』について-3

『鴻(ワイルド・スワン)』の著者は昨年、毛沢東の私生活を描いた本を出した。毛沢東については以前、侍医であった人が記した本もある。

1980年代は、現地で毛沢東のことを批評することは憚(はばか)られた。1990年代前半になって広東・福建省辺りでは、漸(ようや)く談笑の間に話題として持ち出すことが許されたような思い出がある。東北部では1990年代後半でも無理で、1990年代末にそうした素地が出来たように記憶する。

毛沢東に関する批評の自由度と中国の地方経済の発展とは正比例の関係にあると小生は考える。

中国には、文革後も緊張感のある密告社会という雰囲気が漂っていた。1992年以降現在に至る迄、経済優先の風潮が余りにも急速に広まり、タガが弛んだ結果、汚職・環境汚染等々の社会問題を引き起こしているのは屡々報道されている通りである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-31 19:22 | Comments(1)  

ドラマ『大地の子』についてー2

文革は後に、停滞した十年と評され、文革世代は「老三届」と名付けられた。

小生は中国人に出会う度に、文革当時はどこに「下放」されていたのか、また若い世代の人達に対しては、両親は「老三届」なのかを挨拶代わりに尋ねることにしている。皆喜んで即座に答えてくれ、話は尽きないが、本当は触れられたくない過去なのかも知れない。

これは現地や日本においてのみならず、東南アジア、米国、ヨーロッパに住む中国人でも事情は同じであるが、成功者程過去に拘泥することが少ないというのが実感である。

文革時代の中国を題材にした小説『鴻(ワイルド・スワン)』を台湾人から勧められ、借りて読んだことがある。確かに、家族が凄絶な生き方を余儀なくされ、著者本人は英国に渡ることになったが,この著者の家族や本人よりも辛い目に遭ったという中国人は多いので、内容自体は驚くに当たらないと評する人もいる。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-30 11:12 | Comments(1)  

ドラマ『大地の子』について-1

今年は文化大革命発動四十周年である。昨日、ケーブルテレビで、久し振りにNHKドラマ『大地の子』の集中放送を見た。

荒波にもまれる人生をドラマで味わうのも時には必要である。主人公の苦悩の表現は固より、父親役仲代達矢の名演技には感心する。

主人公は北京生まれの小生の兄と同年代であり、親近感を覚えると同時に、小生自身、文革終了後、虚脱感の漂う中国東北部に滞在したことがあるので、ドラマの背景となった時期の中国の国情は察することが出来る。

主人公と同年の或る帰国残留孤児(女性)に小生が以前聞いたところでは、文革の間は歌劇団に属し、息をひそめて目立たないようにしていたので、難を逃れたという。精神的重圧は計り知れないものがあったことだろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-29 21:12 | Comments(1)  

中台直行便の運行について

春節前後に運行される中台直行チャーター便を利用する乗客の様子が、連日テレビニュースに出るようになった。台湾と対岸の福建省アモイを結ぶ便は特に便利だと思う。

かなりの台湾人と福建の中国人とは同胞であり、見掛けからは、後者がやや洗練されていないという以外は特に違いはない。

それを中国が台湾併合の大義名分の一つとしているのであるが、反対に、将来中国が分裂統治されることになれば、台湾と福建は一体となる運命にある。

三通と民進党政府の目指す「有効管理」との兼ね合いが如何なるものとなるのか、また、中台近接という便利さを犠牲にして台湾としての独自色を如何に出して行くのか、国際問題は実に難しい。中台直行便の定期運行は簡単には決まらないことだろう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-28 16:31 | Comments(0)  

『米国務副長官の構想と歴史観について』について

ゼーリック米国務副長官の構想に対して、24日、孔泉・支那外交部報道局長が、
北東アジアの歴史は特殊性がある
として事実上の拒否表明をしました。そして、孔泉局長は同時に、その特殊性を、
中国、韓国、日本に直接関係する
と指摘したそうです。

詰まり、三国の「特殊性」故に、米国等他国の介在を決して許さぬ、との事なのでしょう。それでは、「中国、韓国、日本に直接関係する」と言う「特殊性」とは、具体的には何なのか? 私は、その「特殊性」をこう考えます。

 中国が捏造し

 韓国が改竄し

 日本が呑まされている


と言う「歴史観」である、と。其処(そこ)には、歴史的事実等二の次で、自国に有利な「歴史」を勝手に「創り」、それを日本に強いる事によって、日本の伸張を抑制し、翻(ひるがえ)って、支那が極東に於ける新興大国の座を揺るぎないものとする。又、韓国も支那の「腰巾着」として、その「お零(こぼ)れ」に与(あずか)る、そんな「特殊性」があるからこそ、米国の介在を快く思わなかったのでしょう。

もっとも、私も古川さんと同様、日本にとっては甚だ「有難(ありがた)迷惑な話」です。抑も、極東の「歴史」を、北鮮核問題に於ける六ヶ国協議同様、米国等他国が口を挟むべき問題ではありませんし、なまじの仲介は話を余計複雑にするでしょう。又、60年前の歴史を問うと言うのであれば、必ずや日米戦争の再定義にも行き着く訳で、真珠湾「奇襲」(実際には「奇襲」=「騙し討ち」では無い)や原爆投下に対する解釈にも行き渡ります。その時、米国が日本に歩み寄るのか? 「日本悪者論」によって始まった戦後体制を揺るがしかねない歴史の再定義に、現時点の米国が到底応じる筈も無く、日本は支那・韓国と同時に米国からも歴史観を強いられる可能性の方が大きく、それならば、寧ろ、「捨て置いた」方が、余程、利口と言うものです。

「靖国参拝」でもそうですが、支那・韓国がギャーギャーと口五月蝿(うるさ)く喚(わめ)くのであれば、喚かせておけば良い。そして、たとえどんなに喚かれても、日本が一切の妥協も譲歩もせず、支那・韓国に屈しなければ、それで良い。「歴史」は所詮、見る方向や主観によって大きく左右される代物ですから、どんなに話し合った所で、統一した歴史観等と言うものは醸成されえません。それを踏まえた上で、互いが妥協出来うる最大公約数で協調するのが外交である訳ですから、相手が距離を取りたいと思っている時には、そのまま捨て置き、接近したがっている時に初めて「チラッ」と横目で見てやれば良いのです。ですから、今後も日本が無理に支那・韓国に合わせる必要は全く無く、やれ「孤立する」だのと言った焦燥に囚われる必要も全く無いものと思います。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

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by ayanokouji3 | 2006-01-27 20:23 | Comments(0)  

米国務副長官の構想と歴史観について-4

こうした事情を勘案すれば、日中間の意見を統一したり、見解を一致させたりする必要は全くなく、意見は「異見」としてそのままにしておき、日本側は中国側の覚醒を願いつつ、「百年河清を待つ」といった気の長い気持ちで放置しておけばよいと思う。

安易な妥協・同情・同調といったものは、国益に副うものとはならない。そのうちに、日中間に事件でも起これば、口先ばかりで中味・実体のない、浅薄な歴史観どころではなくなることだろう。

米国の何時ものお節介は有難く聞き流し、日本は日本の流儀で構えておれば、何も問題はない。そうした流儀で一貫して行くことが、真の歴史観と歴史認識を得る唯一の道である。

このままでは「世界の孤児」、「アジアの孤児」になってしまう。否既にそうなっているといった文辞を用いたり、アジア外交の不毛を嘆くエセ「憂国の士」は、その志自体は多とするも、勝手に言わせておけばよい。そのように考える今日此頃である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-27 19:25 | Comments(0)  

米国務副長官の構想と歴史観について-3

さて、戦前・戦中時代の歴史判定に当たって、例えば、戦時中「小国民」として過ごした学者先生が、これまでに刊行された多数の内外の書籍を丹念に分析することにより行うとする。また、人の経歴によって戦争観が異なっているような思い出話や、NHKの番組に相応(ふさわ)しいような証言を集めるとする。

併し、書籍を如何に分析しても、思い出話や証言をいくら集めても、感傷に浸ることは出来るが、最大公約数的内容を引き出すことが出来るのか、甚だ疑問である。

結局は、教科書の記述以上の内容を示すことは無理ではないだろうか。

日中間の歴史認識問題には埋め難い溝があり、この原因は民族性や政治体制の違いだけでは説明出来ない。上記のかつての進歩的文化人の学者先生のように、戦前のみならず、戦後も中国の工作に協力した一部の不届きな日本人の役割は大きかったと言える。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-26 21:07 | Comments(0)  

米国務副長官の構想と歴史観について-2

最近、明治末年生まれで、かつて所謂(いわゆる)進歩的文化人であった、ある学者先生(御存命)のインタビュー記事を読んだ。

旧制高校で反政府運動のため除名された後、米国に渡り、学業の傍(かたわ)らマルクス系の雑誌の編集に手を染め、また、日中戦争当時、中国人の勧めにより、日本の対中国政策を批判する本を書いたという。今尚、「田中上奏文」が偽造であるとはしていない。

ところで、明治末年から大正二桁生まれの男性は戦争の影響を直接受けており、従軍し今以て御存命の方々は、余程運が良かったか、要領が良かったかの何(いず)れかである。特にソ・満・南方からの帰還者は虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受け、辛酸を嘗(な)めたことは確かである。

併し、こうした御存命の方々の歴史認識が客観的に正しいものであり、またバランスのとれたものとなっているとは限らない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-25 19:56 | Comments(0)  

米国務副長官の構想と歴史観について-1

来日中のゼーリック米国務副長官が、日米中の歴史家による第二次世界大戦の歴史の検証作業を進め、日中間の緊張緩和を図るべきだという構想を日本側に示したという。

この構想は昨年9月、彼が米国で提唱したもので、本ブログでも紹介したことがある(昨年10月2日の「中国の対日歴史観について」御参照)。

これは有難迷惑な話である。例えば、学者先生方による日韓の歴史研究はお互いに満足の行くことのない侭(まま)、不十分な形で終わっている。

この構想の場合、米国の学者が仲裁の役割を果たすことが出来るのだろうか。人選によっては、政治的にしこりを残すことになる。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-24 20:33 | Comments(0)  

王立法院長の三通交渉について

「時事弁論会」で、陳総統が北京での三通の交渉権を王金平・立法院長に与えるか否かの討論が行われているのを見た。

三通の推進は中台双方にとって大きなメリットとなるが、中国側が国内問題とし、台湾側が国際問題とするところに埋めがたいギャップがある。

2005年の台湾の対中投資認可金額は2004年の数字を割ったという統計が出ているが、経済界は三通の進展に期待している。併し、政治は経済とは別の次元で動くことで、難しくもあり、妙味もある。

民進党、国民党内部でそれぞれ思惑が交錯するだろうが、なるようになるとしか、今のところは言い様がない。また、台湾で前向きな話となっても、北京から事前に種々注文をつけられ、話が頓座するかも知れない。尚、王氏が国民党での自身の地位をより高めたいという野心はあって然るべきであると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2006-01-23 18:44 | Comments(0)