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社会構造変化一考

最近のテレビ討論番組をみていると、随分以前から予想されていた問題につき「大変なことになった(なる)」と騒いでいるだけのように思えるが、世の趨勢は如何ともなし難(がた)いものもあり、個々人がそれぞれに常日頃準備し、対処すべきということであろう。そのうち、幾つかを取り上げてみる。

  • 高齢社会-生涯現役というのは理想であり、幻想である。60代以上の人に経験があると言っても、時代認識において若者に太刀打ち出来ない。老人は限界を知り、数歩退くべきである。

  • 親殺し、子殺し-社会問題として研究対象とするより、各種宗教に帰依させるのが近道であり、得策である。

  • 女権拡張-元気のある女子には十分活躍の場を与えた方が良いが、職業婦人と育児主婦を両立させるなどと余り欲張らせないことである。

  • 企業のリストラ-各自が情報を早期に入手して然(しか)るべく対処することである。

  • 社会福祉-破綻するまでこのまま続けさせ、満を持して改革(実際には削減)に着手すべきである。

思うに、上記や巨額の政府債務といった問題よりも、歴史認識問題についての負の遺産を次の世代に残すことの方が、より重要のように思われるが、諸彦のご意見如何(いかん)。

(註)
上記の一部については、台湾にも当て嵌まるものがあると考える。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-28 17:43 | Comments(0)  

オーストリア旅行雑感

小生、6月上旬から中旬にかけ、高齢の親戚数名との親睦旅行の目的で、オーストリアに行って来た。

オーストリア自体はハプスブルク家の栄光が美術や音楽に残り、観光が売り物の国であり、EU諸国の一つとして、社会のシステムに興味を覚えた。消費税は原則20パーセントではあるが、日本と比べ物価が法外に高いということもない。

ウィーンでは、かつて「会議は踊る」とされた宮殿の会議場も参観した。市の中心部にあるOPECのビルは周囲のビルに囲まれ、小さく見えた。尚、国連ビルが3棟聳(そび)え立つUNO-CITYという地区に近接するホテルに宿泊した。

台湾人旅行者の多さには驚いた。多くは中高年の夫婦で、中にはキリスト教信者のグループもいたが、政治の話をしてみたところ、皆真剣に答えてくれた。台湾人の考えていることとそのエネルギーに直接触れ、有意義であった。

ウィーンのコンサートの後ろの席で北京語を話していた母娘(おやこ)にたずねてみると、26名のツアー一行で、出身は北京、天津、河南、遼寧等々、様々とのこと。演奏中の私語等で、周囲より白い目で見られていたようである。その昔、日本の農協の海外ツアーがホテル等でマナーが悪いので、顰蹙(ひんしゅく)を買っていたことがあったが、大陸人旅行者も今後漸次マナーについて洗練を要する。

かねて北朝鮮との結びつきが深いと指摘されている同国だけに、確かに、日本よりの渡航者、現地ガイドや現地滞在者に在日や北朝鮮関係者と思われる人が散見されたが、その事情を追及することはしなかった。

(註)
指揮者小沢征爾のウィーン劇場の監督契約が延長されるというニュースを知ったが、音楽好きの日本の高齢者夫婦動員への寄与は認めて然(しか)るべきであろう。オーストリア航空は少ない便数ということもあり、往復共、日本人旅行者で満員で、この時期のオーストリアや東欧旅行の人気の高さを知ることが出来た。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-23 20:35 | Comments(0)  

日韓首脳会談に思う

昨日行われた首脳会談は予想通り平行線で終わったとの報道である。

歴史認識問題は如何(いか)に議論しようとも折り合いのつくものではないのであるから、日本としては、当然のことながら突っぱねておけばよい。そのうち、日韓双方で政権交代があり、北朝鮮で動きがあれば、環境も変わって来ることだろうから、永遠にこのままであり続けることはない。

歴史認識問題は確かに長期に亙(わた)る懸案であるが、これ程前面に出て来るとは思わなかった。この背景には、識者の指摘する通り、日本側では、以前の腰抜け外交の反動という消極的異議申立があり、韓国側では、以前の成功体験(歴史認識問題による揺さぶり)に代わる新たな有効策を見出だせないという焦りと失望がある。

「アジア諸国の人々の心の痛みを理解すべきだ」という朝日新聞の論調は、主張から懇願・哀願へと変わり、更に今は「何を言っても効果がない」といった諦念に変わって来ているように見える。

これこそ、全国の自虐史観に怒れる男達が久しく待ち望んで来たものではないだろうか。併(しか)し、古くは1982年の教科書問題、1993年の慰安婦問題等々、現在に至るまで連綿と続く歴史認識問題を根本的に解決するには、今後、国内における自虐史観の駆逐による輿論の一層の喚起を図り、中韓をはじめとする諸国の政治指導者の姿勢を変え、各種の反日的展示物の全面撤去による反日教育の完全終了を要求する必要がある。前途遼遠と言わねばならない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-21 23:17 | Comments(0)  

佐藤優著『国家の罠』と日本の主張について

佐藤優著『国家の罠』の書評を読み、外務省の内幕暴露本として興味を覚えたので、遅れ馳(ば)せながら一読した。

「外務省のラスプーチンと呼ばれて」という副題に複雑な心境を推察する。適切な表現ではないが、「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる」ということであろう。

同書(58、59、120頁)によれば、
外務省における、「スクール」(英米、中国、ドイツ、ロシア)と「マフィア」(条約局、経済協力、会計、サミット)の存在を指摘し、現在は「水槽」の中で熱帯魚(外務官僚)たちが伸び伸びと暮らす居心地の良い世界である。現実の国際政治は「水槽」の外側、大きな海で行われており、国民の利害を体現する外交を実現するためには、政治家の外務官僚に対する圧力は不可欠と考える。
とのことである。

著者の蹉跌(さてつ)は、ロシアの専門家として自信過剰に陥ったことであり、有名になり過ぎたことであり、頑固な性格から人の責任迄(まで)背負ったことである。対露交渉が二転三転するのは、人間関係を重視する余り、ロシア国内の事情に対応出来なかったからである。勿論、日本側の政権交代による方針のぶれ以外にも、日本国民のロシアに対する拭(ぬぐ)い難(がた)い猜疑心もある。

結局、何事にも肩入れし過ぎると、悲惨な結末が待っていることが多いということである。さりとて、確固たる主義主張がなければ、八方美人となり、或(ある)いは「虻蜂(あぶはち)取らず」ともなる。

これをアジア外交に置き換えてみれば、見込みのない阿諛追従(あゆついしょう)外交を続けるよりも、これ以上の妥協はしないという突っぱねた態度をとることが最も必要である。先行きを心配をするから益々暗い見通しとなる。

今後、韓国に対しては、日本での賎民(せんみん)の歴史と同和事業の経緯を説明すればよいし、中国に対しては、漢民族の奴隷的資質と捏造された歴史を詳細に指摘し、国内では、慰安婦問題同様、南京事件についての記述を教科書から全面削除させることである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-20 19:12 | Comments(0)  

自虐史観を斬る(田中隆吉-4)

田中隆吉の言動は軍人社会においては許すべからざるものがあったことだろう。何故ならば、和平を主張していたという点を除けば、彼の上海事変における謀略工作は、他の戦犯の罪が正当であるならば、彼も戦犯として糾弾されて然(しか)るべきものであったからである。また、彼の証言により、陸軍の過去の軍事行動が誤解と偏見を生み、それが増幅され、自虐史観の恰好の材料となったことは当然のことである。東京裁判の目的は自虐史観の材料により正当化され、達成されたのである。我々はこうした一面を今一度考える必要がある。

昭和17年の武見太郎医師(後の日本医師会会長)による田中隆吉の診断書によれば、家族の病歴として、「精神病素因は陽性。父および祖父が自殺。」、また本人の病歴としては「既往黴毒(ばいどく=梅毒)による麻痺発症に対する不安」云々とある。彼の異常な行動の裏にはこうした精神・肉体面の障害があったことを認めなければならない。

現在は民主体制下にある。従って、世の各レベルの政治的指導者についても、国民・選挙民の利益を損(そこ)なわぬよう、自己の出自を明らかにし、完治しない精神障害の遺伝要素を隠しているのであれば、国民に対し「告知」する義務があると思う。尤(もっと)も、そうなれば、選挙に当選するのは困難となるだろうが。

(註)
『田中隆吉著作集』(昭和54年、自費出版)によれば、子息の手記には、田中隆吉の父および祖父が自殺したことは一言も書かれていない。また、ロッキード事件の児玉が、大森実との対談で、田中は脳梅毒で死んだと断言したことを、昭和21年検査の結果、梅毒反応は陰性だったとし、「全く事実と反する」としている。尚、上記昭和17年の武見医師の診断書では、黴毒は既に治療済で、ワッセルマン反応は陰性、としている。田中隆吉に関する参考資料としては、本人の著書のほか、粟屋憲太郎編『東京裁判資料・田中隆吉尋問調書』(大月書店、1994年刊)がある。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-17 20:05 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

自虐史観を斬る(田中隆吉-3)

田中隆吉の底辺に流れるものは私怨であった。彼は確かに人情家で、人の面倒を見たようである。能力もあり、憂国の情も人一倍あったと思う。併(しか)し、所詮それは匹夫の情であり、彼は一国の大事な時期に陸軍中枢の幹部をつとめるような器(うつわ)ではなかった。その証拠に、戦後に彼の記したものを読めば、誰しも怒るようなことが書いてある。今で言うところの週刊誌の暴露記事の類(たぐい)である。

真意が私怨であるが故に逆に救われた人達もいる。ジャワで死刑論告のあった今村均 陸軍大将と岡崎清三郎 陸軍中将である。彼はキーナンに、立派な軍人だとして死刑中止を求め、結果的に二人とも内地送還となった。これは抑(そもそ)も不公平というものだ。

さて、自虐史観というものの本質は私怨に基づく被害者意識である。それは己の不幸な運命を歎(なげ)き、誰かに何かに責任を転嫁せねば気持が収まらないという、下層社会の者や女子供の抱く感情である。その感情が意図的に増幅され、捏造され、これを利用せんとする勢力が手にしたとき、比類なき好材料となる。

東京裁判は国際場裡の舞台であったが、これに類したことは、国政、地方行政、団体・企業、個人の各レベルにおいても十分あり得ることである。

(註)
「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-2)」参照。
小生はかつて岡崎氏の子息が防衛大学校の副校長をしていたときに、仕事上会ったことがある。また、柳川平助氏(「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-3)参照」)の外孫(三菱商事重機部)にも会ったことがある。何(いず)れも昔のことには触れられたくないような様子であった。今こそ、職業軍人の子孫が声を大にして、父祖の歩みを説くことは大いに意味があると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-17 13:17 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

台湾インパクト ── 日本の取るべき針路は日台連携・中国謝絶

平成17(2005)年4月に相次いだ「中国」(支那)国内での「反日」デモ及び暴動(日本大使館等への襲撃 詳しくはコラム『145.「反日デモ」の原因は日本にある? 否、全責任は支那にあり!!』を参照の事)については先に触れた通りですが、これに関連して、同月25日、中国国務院(政府に相当)の対外宣伝部門責任者、趙啓正・新聞弁公室主任(閣僚級 右写真)が、共同通信から反日デモによる日本関連施設が被害を受けた問題についてインタビューを受けた際、

「中国は素早く補修作業に入り、言葉より行動で示している」

と述べ、実質的な補償には応じるものの、日本側が要求していた謝罪には応じない ── 謝罪要求を棚上げする考えを強調し、その上で、

「アジア人が持ち味としている曖昧さを通じ、平和的に解決出来ると考えている」

と発言しました。然(しか)し、単に補償すれば済むと言う問題ではありません。事は国際法違反(『外交関係に関するウィーン条約』第22条第2項に抵触)である訳です。それにしても、平成14(2002)年5月の瀋陽事件(詳しくは、コラム『115.「瀋陽事件」で苦しんだ北京 ── 巨大帝国「中国」のお家事情』を参照の事)と言い、平成16(2004)年11月の中国海軍原潜領海侵犯事件(詳しくは、コラム『138.日中友好? 「中国」は日本にとっての仮想敵国である』を参照の事)と言い、何(いず)れも日本側の抗議にも関わらず、最後迄一言の謝罪もありませんでした。そして、今回の趙氏発言。開いた口が塞がらないとは、正にこの事です。

自ら(中国側)は、終戦後60年を経て尚、事ある毎(ごと)に、先の大戦に於ける日本の「戦争責任」を口にし、幾度と無く日本が反省や謝罪を口にしているにも関わらず、決して納得しようとはしません。更には、両国の合意の下、国家による正式な賠償こそしなかったものの、日本はODA(政府開発援助)・円借款等を通じて、莫大な額の有償無償資金協力をしてきました。技術協力もしてきました。それでも、決して「許してもらえない」と言うのに、「中国」側は、

「アジア人が持ち味としている曖昧さを通じ、平和的に解決出来ると考えている」

と嘯(うそぶ)いた訳です。日本は、この様な国と果たして今後も付き合っていくべきなのか? 私は決して、その様には思いません。寧(むし)ろ、この機会 ── 戦後60年を機に、外交の舵取りを180度転回してはどうか?と考えています。と言う訳で、今回は日本外交に対する、私なりの「提言」の意味合いも込めて、書いてみたいと思います。

日本外交に対する、私なりの「提言」。それを一言で言い表すとすれば、

台湾インパクト

と言えます。昭和20(1945)年8月の終戦以来、昭和47(1972)年9月迄の実に27年間、日本にとって「中国」と言えば、それは台湾=「中華民国」(以後、「台湾」と略)の事でした。実際、昭和27(1952)年に、日本は台湾との間に『日華平和条約』を調印しており、国交を持っていました。それが、昭和47年の日本と「中華人民共和国」(以後、「中国」と略)との国交樹立 ── 所謂(いわゆる)「日中国交正常化」に伴い、「一つの中国」の原則を強要する「中国」の要求を呑む形で、日本は台湾と断交し、現在に至っている訳です。然し、その後も、日台両国は民間レベルでの関係を継続する事で、両者を繋ぐ細いパイプを維持してきました。そして、その台湾はと言えば、アジア、いや、世界でも随一の「親日国」である訳です。国交を持っているにも関わらず、事ある毎に「反日」が吹き荒れ、常に日本を貶(おとし)めようと躍起になっている「中国」や韓国。それに対して、外交関係が無いにも関わらず、日本に極めて友好的な台湾。これを放っておく手は無いのです。

靖国参拝問題にしろ、歴史教科書問題にしろ、憲法改正論議(特に九条改正)にしろ、これらを言挙(ことあ)げする「中国」・韓国、そして、日本国内の反日メディアは毎度々々、必ずお決まりの台詞(せりふ)を吐きます。曰(いわ)く、

「先の大戦で被害を被(こうむ)ったアジアの人々の声に耳を傾けろ」

と。然し、マレーシア(旧英領マラヤ)や、インドネシア(旧蘭領東インド)、インドシナ三国(旧仏領インドシナ)と言ったアジアの「近隣諸国」が、例えば、小泉総理の靖国神社参拝に対して中止を求めたり、日本の歴史教科書の記述に異議を唱えたり、日本の軍備に対して注文を付けたりしたでしょうか? 答えは「否(いな)」です。実際、台湾の軍関係者は日本との軍事協力 ── 詰まり「軍事同盟」構築を切望していますし、マレーシア・インドネシアも、海賊が横行しているマラッカ海峡の共同警備に、「日本海軍」(現地では「海上自衛隊」をそう呼んでいる)の参加を求めています。詰まり、アジア全体から見れば、「中国」・韓国の主張は少数派意見であり、極めて特殊な部類に入る訳です。私は決して、少数派意見を等閑(ないがしろ)にしろ等とは言いません。然し、だからと言って、「中国」・韓国の主張を以て、恰(あたか)も「アジア全体の声」として扱うが如き意見に対しては、到底同意出来ません。寧ろ、「中国」・韓国及び北鮮を除いた「アジア全体の声」に、日本はもっと耳を傾けるべきでは無いのか? そう思う訳です。

扨(さて)、以上を踏まえた上で、本題である「台湾インパクト」に話を戻します。私は本コーナー『歴史再考』を通して、「中国」が決して日本の「友好国」等ではなく、寧ろ、「敵国」である事を論じてきました。日本は、先の大戦について反省と謝罪を繰り返し、有償無償の資金協力と様々な技術協力を通じて、「中国」の発展に寄与し、終始、善隣友好関係を維持すべく腐心してきました。然し、その答えは、国家を挙げての「反日」であり、領土(尖閣諸島に対する領有権主張)・海洋権益(排他的経済水域・海洋資源)・内政問題(靖国参拝・歴史教科書・改憲論議)・外交(国連安保理常任理事国入りに対する反対表明)に対する主権侵害、そして、核の照準を合わせる国防上の敵対行為でした。この様な「敵国」=「中国」に対して日本が取り得る、極めて現実的な選択肢(オプション)は何であるか? それこそ、昭和47年以来、断交状態にある台湾との復交と、それに伴う「中国」との断交、

断支交台(支那と断ちて、台湾と交わる)

である訳です。

「中国」は台湾に対して、台湾の大陸への統合(併合)──「祖国統一」を国是としています。そして、当の台湾はと言えば、我々日本人は概して、民主進歩党(民進党)・台湾独立聯盟(台連)に代表される「独立派」(「中華民国」から「台湾共和国」への脱皮)と、中国国民党・親民党に代表される「統一派」(祖国「中国」との統一)に国論が二分されている様に思っています。然し、台湾には、「独立」派でも無く、ましてや「中国」との「祖国統一」派でも無い、もう一つの「祖国統一」派 ── 第三勢力がいる事を、最後に記しておきたいと思います。それは、明治28(1895)年の清国による割譲から、昭和20(1945)年の終戦による放棄迄の50年間、台湾が「日本の一部」(帝国領土)だった「歴史」を懐かしみ、もう一度、「日本に復帰したい」(日本人になりたい)と願っている

「日台併合」(日台合邦)派

の存在です。台湾とて一枚岩では無く、「親日」と同時に、嘗(かつ)ての国民党政権時代の教育による「反日」も当然乍(なが)らいます。然し、「中国」に比べれば、台湾は比べ様も無い程、「親日」です。将来、日本と台湾が再び「一つの国」になるのか否か、それは分かりません。然し、少なく共、日本が選ぶべきは、「中国」では無く、台湾である事だけは確かです。日本の今後の対アジア(対中・対韓)政策の為にも、日本の国防上の観点からも、同じ島国(海洋国家)であり、「中国」に比べて遙かに共有する価値観の多い台湾との関係を強化する事。それこそが、これからの時代の「興国の興廃」(日本の浮沈)を握る重要な鍵であると同時に、台湾にとっても生命線である、日本と台湾は一蓮托生(いちれんたくしょう)の仲である、と私は思うのです。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

(本投稿は、Web『帝國電網省』の「歴史再考」に、2005年6月14日付で掲載したコラムです)
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by ayanokouji3 | 2005-06-15 22:50 | 歴史再考 | Comments(0)  

自虐史観を斬る(田中隆吉-2)

ところで、論語(子路第十三)にはこう記されている。
「葉公語孔子曰、吾黨有直躬者。其父攘羊而子證之。孔子曰、吾黨之直者異於是。父爲子隠子爲父隠。直在其中矣。」(父は子のために隠し、子は父のために隠すことに正直が備わっている)

自虐史観は「證之」どころか、無を有となし、小を大となし、白を黒となし、一を十や百となす。これは勝者の歴史観の如くして、実は敗残者のそれであり、強者に媚び、従属する売国奴的歴史観である。到底自立した人間の歴史観ではない。

ところで、共産主義社会というものは馬鹿正直が密告して、何(いず)れは粛清されるという不条理な世界であり、人民が情報操作の何たるかを知らず、踊らされる奴隷社会であるが、一方でそうした環境を快適に感ずる人達もいるに違いない。自虐史観というのはそうした人達の存在理由の一つであり、勿論これを完全否定することは出来ない。そうした見方を葬り去る程、我思考は硬直していない。

併(しか)しながら、自虐史観に怒れる男達の一人としては、『日本国憲法』を「不磨の大典」とし後生(ごしょう)大事に抱えたり、「国際連合(実は連合国)」を国際紛争解決の最高機関として崇(あが)めたりするような、一神教的な世界から、一日も早く日本国民を精神的に「解放」することが急務であると考える次第である。それなくしては、何時(いつ)までも、政府が無策だ、首相が説明責任を果たしていない、米国は当然北朝鮮からの脅威に対して日本を守る義務がある、などといった子供染みた、幼稚な発想に終始することになる。内輪でそうした議論をするのは致し方ないが、国際場裡の舞台にそうした時代錯誤的議論の内容が伝われば、他国の侮(あなど)りを一層受けることになる。これは全く日本の恥であると思う。全国の知識分子諸氏に猛省(もうせい)を促す所以(ゆえん)である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-15 21:38 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

自虐史観を斬る(田中隆吉-1)

陸軍の正規職業軍人が殆(ほとん)ど逝去した今となっては、田中隆吉を心底(しんそこ)恨みに思っている方々は皆無だと思われる。

昭和60年、谷田勇氏(「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-3)参照)」と2回面談した時、当方よりも田中隆吉については触れなかったし、谷田氏もまた黙しておられた。谷田氏は自身「皇道派の末輩」と謙遜していたが、田中隆吉は統制派の一員であった。

二人を結びつけたのは憂国の思いであったことだろう。開戦時の兵務局長たりし田中隆吉は開戦後半年で和平を口にし、東條首相の悪口をいい、昭和17年9月予備役編入。一方の谷田氏は17年12月に敗戦のきざしを認識したという。翌18年5月、ラバウルへ転補、和平工作が憲兵に発覚したためであった。

谷田氏は、昭和48年、「偕行誌」にこう記している。
「 田中はしみじみと次のように語った。
『俺は、世間(せけん)、ことに旧陸軍から弾劾された。しかし、俺には三つの功績があったと自認している。第一は、天皇を戦犯はもちろん証人としても法廷に立たせなかったこと。第二は、A級戦犯の人員を絞ったこと。第三は、その人選を誤らなかったことである。』

 米国統合参謀本部は、既に21年1月に天皇を戦犯としない旨指令を出しているから、天皇戦犯問題については、田中自らが考えるほどの功績はないが、米国以外の検事団に声をひそめさせたこと、および最後の鍵である、東條被告の証言内容を事前に引き出した功は多としなければならない。(中略) 田中は後日宮内庁から下賜品を賜(たまわ)っている。このことは、現在、宮内庁の公式書類には残されていないが、田中は涙を浮かべてこのことを私に語った。」

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-14 10:38 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

自虐史観を斬る(慰安婦問題-3)

さて、「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-1)」で紹介した西野氏著書には、当時のチェンマイの事情が紹介されている。同地に進駐して来た日本航空隊は小部隊であったので、慰安婦は送ってもらえなかった。隊長がチェンマイ領事館勤務の西野氏に相談して来たので、県知事に相談すると、30人程度の志願者を集めてくれた。志願者の中から10人程採用するのに、軍医による身体検査と隊長による面接があり、西野氏も立ち会ったが、全員以前から売春を業(なりわい)としていた経験者ばかりであったという。

西野氏も韓国やフィリピンはもともと反日感情が強い国だと指摘している。だからといって、「奴隷」という表現は一体何を意味するのか。慰安のために国家的威信がかくまでも傷つけられてよいものだろうか。

慰安婦問題は、全てを水に流す日本と、流さない他国の軋轢の所産であり、外交の具となり、これを大問題としたことは、外務省の失策であり、また宮澤・河野をはじめとする三流政治家が他国の恫喝に屈した、万死に値する「記念碑」的汚点である。この問題を煽る勢力の跳梁跋扈はエセ同和に似たものがあり、すさまじかった。その後慰安婦支援を国民的募金運動に格上げしようとする勢力があったが、運動は不発に終わった。国民はそれほど莫迦(バカ)ではなかった。

他方、そう安心ばかりも出来ない。第二、第三の「慰安婦問題」が起こらないという保証はない。これを防ぐには、全国の憂国の士が国民意識と輿論とを「見えざる手」で、不知不識の裡(うち)に良い方向に導くことである。客観的にみて、各方面の地道な努力のお陰で、確実にそのことは成就しつつある過程にあると思う。

それこそが自虐史観に怒れる男達の一人として、唯一の「慰安」にほかならない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-13 20:08 | 自虐史観を斬る | Comments(0)