カテゴリ:日台に関わる人物( 5 )

 

王貞治氏について

一昨日、日本プロ野球界の功労者、王貞治氏に対して、「日台両国のスポーツ発展と交流に多大に寄与貢献した」事を理由に、馬英九・台湾総統より民間人に授与される最高位の勲章「二等景星勲章」が贈られた。

王氏は国籍こそ台湾(中華民国)だが、日本で生まれ育ち、読売ジャイアンツ在籍当時はホームラン世界記録を打ち立て、現役引退後も球団監督、更に第一回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表監督にして優勝監督を務める等、日本球界への貢献は著しいものがあった。だからこそ、初の日本国民栄誉賞にも輝いたのだが、今回、台湾に於いてもその永年の功績が認められた訳で、誠に以て喜ばしい限りだ。

日本と台湾、二つの「祖国」から共に功績を認められた王氏。自らの信条を「政治では無くスポーツ」と言い切った王氏だからこそ、両国民から共に愛されてきたのだろう。

民間外交の好例ではないだろうか。
竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

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by ayanokouji3 | 2009-02-07 20:33 | 日台に関わる人物 | Comments(0)  

楊丞琳さん、日本においでなさい

いつもお堅い話題ばかり書いている私ですが、今日は少々趣向を変えて、芸能ネタで書いてみたいと思います。先ずは、Yahoo!ニュース(毎日新聞)に掲載された記事のご紹介から。
<中国>台湾トップアイドルが抗日戦争巡るテレビ発言を謝罪

4月7日13時11分配信 毎日新聞

 【台北・庄司哲也】台湾の人気アイドル、楊丞琳(レイニー・ヤン)さん(22)が、抗日戦争を巡るテレビ発言で歴史認識問題に巻き込まれ、中国で謝罪会見を行った。4年前に台湾のバラエティー番組で抗日戦争の期間を問われ、答えを間違い、中国のインターネットサイトで批判が起きたためだ。台湾の歌手やタレントは中国大陸にも数多く進出しており、政治的な問題に巻き込まれる例も少なくない。

 楊さんは台湾のトップアイドル。番組の中で抗日戦争の期間を聞かれ「11年」と誤って回答したところ、司会者から「8年」と間違いを指摘され、「たった8年だけ」と思わず答えてしまった。発言は中国大陸にも伝わり、「抗日の歴史すら知らない」「お前は日本人か」との非難の渦に巻き込まれた。

 「哈日族(日本大好き族)」のアイドルとして売り出し、人気を集めていた楊さんは、日中間の歴史認識問題に足をすくわれた格好だ。

 楊さんは今月3日に北京で記者会見を行い、4年前の発言について「私があまり歴史を知らないために誤解を招いてしまいました。許してください。これからも歴史の勉強に励みます」などと謝罪。中国側の司会者から「中国人民の抗日戦争での奮起」というタイトルの本を手渡された。

 中国ではこれまでも、台湾の人気歌手、張恵妹さんが台湾の陳水扁総統の就任式で「国歌」を歌ったため中国で出演していたCMを打ち切られたり、家族が陳総統の有力支持者であるトップモデル、林志玲さんがインターネット上で批判を浴びた例がある。

元記事URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070407-00000054-mai-int

c0058035_22301940.jpg以前、「旭日旗(旧日本海軍旗・現海上自衛隊旗)を身に纏(まと)った」として、極端なバッシングを浴びた支那安徽省出身の趙薇(ヴィッキー・チャオ)と言う女性モデルがいましたが、今回、バッシングを浴び謝罪させられた楊丞琳さん(写真)は、台湾生まれの台湾人です。彼女が「思わず口を滑らせてしまった」と言う「たった8年」発言は、恐らく台湾の現代の若者にある種共通する感情だと思います。それは、60年前に太平洋を大舞台に戦火を交えた日米両国の現代の若者が、相手に対して憎悪を煮えたぎらす様な感情を抱かないのと同じ事です。大陸側の人間にしてみれば、「同じ中国人」と言う意識が働いたのでしょうが、当の楊丞琳さん本人は、「私の前世は日本人」と発言した程の「哈日族」。大陸での仕事(CM等)も考慮して「謝罪」したのでしょうが、彼女にとって大陸「中国」は自らのアイデンティティの拠り所では無いでしょう。

一応、「謝罪」で事態が沈静化に向かっている様ですが、何かと神経を使わねばならない大陸等放っておいて、大好きな日本で活動しては如何? 何と言っても、日本は徐淑娟(ビビアン・スー)を受け容れた国。台湾のトップアイドルで、しかも日本贔屓の楊丞琳さんなら、日本でも必ずや成功すると思いますが、はてさて如何なものでしょう?

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

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by ayanokouji3 | 2007-04-11 22:33 | 日台に関わる人物 | Comments(0)  

泡茶開講@日本~さくら~台湾

 さ く ら ・・・もっとも今回久しぶりの台湾ネタだったりするんだけれどorz というのも台北(たいほく)にて仕事をされている掲示板・喫茶室の常連である桔梗さん(HN)が久しぶりの書き込みをされて私も反応した、ということで(笑)。 で、なんともタイムリーな季節ネタということがポイント高しというワケでしてネ(後で延び延びになっていた日台合邦について画策中♪ さらに先月、竹下さんの投稿に目を光らせ反応している久保田がここにいるニャー☆)。

 現在の日本と台湾・・・どこかの大国の都合でサ、わが国が公式に交流が認められていない政治関係ではあるが、文化面としての交流が隠れた「橋渡し」の役目をしているものは数多くてネ。 そのうちのひとつである さ く ら にまつわるエピソードを書いてみようと思う(ところによって大雨が降ったりと桜も散ってしまった・・・のは気にしない♪)。
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>竹下さんをはじめ常連の皆様、ご無沙汰しております。
お元気にしてらっしゃいますでしょうか。

そろそろ桜の季節ですが(もう見られるところもあるんでしたっけ?)
先日台湾人の友人からこんな質問を受けました。
「日本人にとって桜というのは何か特別な意味(思い)があるんですか?」
ここでいう桜はもちろんソメイヨシノですか?我々が普通に知っている桜です。

私自身なかなか的を射た答えが見つからず困ってしまいました。
国花であることは勿論なのですが、そんな単純なものではなく
暑い夏、寒い冬、雨、風、雪、様々な厳しい環境を耐え抜いて
春には白ともつかないピンクともつかない繊細な色の花を湛えて見事に咲き誇り
ほんの数日後には潔く散ってしまう。
そしてまた一年後のそのときまで、静かに且つ力強く佇む。
その姿が我々の美学に共鳴するからじゃないか、と。(何かで見た受け売りですが)
特にその「繊細な色の花」や「潔さ」や「静かに力強く」というところが
私にとっては胸に訴えるものがあるんです。
他には季節的に桜の季節は、別れがあったり、出会いがあったり、新生活が始まったり
いろんな意味で節目の季節でもあるので、その人の気持ちを彩る風物詩でもある
というようなことを説明して、なんとか理解してもらった(つもり)ようです。
でも何か物足りなくて、どう言えば外国の人達に旨く伝わるのかわかりません。

こちらのBBSには、外国人との交流をしてらっしゃる方や
私と同じように海外にいらっしゃる方が沢山おいでですよね。
似たような経験がありましたら、その際にどうお答えになったか教えていただけませんか。

映画「LAST SAMURAI」のラストシーンも、桜だったから深い意味があると思うんですよね。
私はあのシーンは単純に感動して、人目もはばからず涙してしまいました。
ちなみにその友人の台湾人も、この映画を見たことと
日本のポップスで桜にまつわる詩や歌が多いのに気づいて質問してきたようです。



実は・・・平成15年(2003年)2月18日、台北・国賓大飯店にて
NPO法人育桜会と社団法人霞会館(旧華族会館)が台湾・李登輝之友会全国総会に今後の桜寄贈することを合意した際、静岡県伊豆河津町を原産とする河津桜200本を寄贈されていたんだけど、これはね意外かも知れないけど、いわゆる皇室贈呈の桜とも呼んでもいいものなんだ。


 今後、主な関係はこの2団体なのだけれども・・・

●台湾・李登輝之友会全国総会の黄崑虎会長(総統府国策顧問)
●育桜会の園田天光光理事長(園田直元外相夫人)



 直接表舞台には登場していないがこちらも間接的に協力しているのが・・・


●社団法人霞会館~霞会館の会員の内訳~

①現皇族(名誉会員)

②元皇族(臣籍降下した元宮家)

③元王公族

④元華族(公、侯、伯、子、男)の当主とその成年に達した長男(嫡男)
・旧華族:公卿と大名の旧支配階級
・新華族:明治維新の活躍で取り立てられた家)



 どう?これは半端じゃない由緒ある団体ですよね。 ただ政治的に攻撃してくる壊れた輩から無用なトラブルから避けるためにあくまで控えめに、文化面としての交流を・・・ということで育桜会が今後の「表の窓」を担ってる。


霞会館とは・・・現在の所在地は霞ヶ関ビルの最上階。 霞会館は、会員の結婚式・披露宴・法事・会食・各種稽古ごとなどに使われていて、その会員の家族も会館を使用することを許されているとか。 かつて「鹿鳴館」は、1890年に華族会に買収され「華族会館」と改称、以後1941年の払い下げによる取り壊しまで存続していたんだけどネ。

河津桜(カワヅザクラ)とは・・・オオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されていて、本州でも早咲きの種類に分類され、満開期を長く維持できるのが特徴。 毎年2月上旬から開花しはじめ、約1ヵ月を経て満開になります。ここ数年で全国に浸透し、2月中旬から開かれる「河津桜まつり」には150~200万人が訪れている、とのこと。 こういうじっくりと桜の咲き具合を楽しめる種類を台湾に向けて選び送った、ということはその分の「まごころ」がたくさん詰まっているものなんだ。


『台湾に河津桜1000本の苗木を寄贈~南投県名間で寄贈式典、新竹の河津桜を見学~』
http://www.ritouki.jp/sakura.html


そんないきさつで贈呈された最初の200株の桜たち(育桜会100本+霞会館100本)はどうなったかというと・・・1年間の仮植樹期間を経て、平成16年2月、台湾の新竹公園、陽明山公園で移植に成功しており、翌平成17年2月中旬、無事に開花(9月前後にも一部開花)したよ。 さて、今年はどうだったろうね?
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これをきっかけに台湾には更に多くの河津桜の寄贈がされるようになり、そこから広がる交流が深まりつつあるワケね。



■おまけ■

今年も日本のサクラ・ソングが発売されてますね♪ そのうちの一つ、関西出身バンド・ニルギリスの『sakura』を紹介します。

『sakura』
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/DF/nirgilis/DFCL-1269/index.html

 メンバーを代表して岩田アッチュ(vo)は「桜のように普遍的に愛してもらえるようにこの曲を作りました。 この曲をきっかけに、ニルギリスを好きになってもらえたらうれしい」とコメント。 各FM局では2月に トリノ五輪のイメージソングの採用、また3月度「パワープレイ」にも選ばれ、携帯電話「着うた」も3万ダウンロード、2月22日付のUSENリクエストチャートでは前週61位から10位に急上昇、そしてTVアニメ「交響詩篇エウレカセブン」op映像が1週間で動画サイトで30万配信をそれぞれ記録。

 綺麗でどこか切なくて、でも元気をくれる・・・親しみやすく作られたポップチューンにオペラの名曲Amazing Glaceを2つ以上の曲を合わせて1つの曲を作る「マッシュアップ」という手法など、彼らのミクスチャーな音楽センスはインディーズ時代からのファンから高い評価を受けており、今回の『sakura』によって埋もれていた才能を一気に開花させるチャンスを掴んだ。


久保田泰啓 KUBOTA Yasuhiro

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by ayanokouji3 | 2006-04-13 07:46 | 日台に関わる人物 | Comments(0)  

泡茶開講@日本軍人精神の権化、その名は中村輝夫さん

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 インドネシア・モロタイ島で高砂義勇兵(第二遊撃隊に所属し歩兵一等兵)アミ族出身の中村輝夫(後にスニヨン/李光輝・1919-1979)さんが戦争が終った事も知らず一人ジャングル生活を続け、横井庄一さん、小野田寛朗さんに続いて、1974年の12月に発見され、翌1975年1月8日に台湾に戻りました。

 1945年の敗戦を以って米・ダグラス・マッカーサー(秘密結社フリーメイスンの高級幹部でもある)の指令で占領の為に賊軍・国民党の陳儀を派遣以来、台湾と日本内地の『解体劇』が始まりました。 そして日本政府やマスコミは1972年以降、支那礼賛・遠慮の為に殆ど彼を無視します。 つまり先の報道で話題になった横井さん、小野田さんと違って、表だってでは無く話題にならないようにこっそりと、見舞金200万円、閣僚のポケットマネーから150万円…こればかりはさすがに酷すぎですね。

・・・であろうことか皮肉かな『戦後ニッポン人権左翼』が騒いでくれたのでようやく台湾出身の兵士・軍属に対する補償などが1987年に行われました。 最もこの『戦後ニッポン人権左翼』たちは以前から調子付いているので、騒げば金になると中華民国による圧制下で生活する貧困層に『歪んだ知恵』を植えつけてエスカレートするわけですが、この場合日本政府の台湾島住民に対する疎遠さは彼らに対し弾圧や反日教育を裏で続ける中華民国の『報告』を鵜呑みにし過ぎでありサイコ野郎に隙を与えちゃった訳であります。

 また、発見された時はすでに日本人ではなく『中華民国の国民』とされて帰って来た台湾島は、モロタイ島で孤独に耐えながら懐かしく偲んでいた故郷とは大いに食い違ったものがあったようでした。 

 彼は都櫪という村に戻った際「小野田さんの帰郷狂騒曲」程ではないが大歓迎をされ、記念の棒球(野球)大会が行われました。  そこでなんと第一打席でホームランをかっ飛ばしたのですが、さもそれは33年間の憂さを 吹っ飛ばすような爽快さだったと。 中村さんはモロタイ島の密林のなかで想っていたのは、結婚したばかりの妻との事と選手として活躍した野球の事ばかりだとか。

 農業に従事し紆余曲折の後に復縁と相成ったものの、彼を待っているはずの妻も他の男性と再婚、病気らしい病気もしなかった彼はそんな失意の内に台湾に帰島後わずか4年で肺ガンで1979年死亡。 享年61歳の若さでした。 

「日本の皆さんにご心配をかけて…ありがとう。 機会があれば日本に行ってみたい。」

 日本を訪れることはなかった彼は・・・立派な日本軍人精神の権化だと表現しても良いでしょう。 果たして、このように我々日本人の記憶からも遠のいていって良いのだろうか?孤独や失望に耐えながらも、これはまさしくまっすぐな信条を最後まで貫き通す姿の中村さんなのだと思う次第だね。

久保田泰啓
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by ayanokouji3 | 2005-05-31 16:04 | 日台に関わる人物 | Comments(3)  

劉金和先生よりの手紙(御紹介)

(下記の私信を皆様に紹介するに当たり、発信者の事前諒解を得ております。又、文中の振り仮名及び、旧字体に対する新字体の併記、並びに註釈は、受信者(編集者)が閲覧の便宜上付したものです。)


謹啓 竹下義朗様へ

 始めまして。私は劉金和と申し、昭和二年生まれの台湾在住人で御座居(ござい)ます。本日、私の友達から、竹下先生からの日本語文のイメール(E-Mail)のお手紙を戴きました。それ故に、拙(つたな)い日文にて、貴兄の台湾に対する温かい想いやりに対して、厚く厚く台湾国人として、御礼申し上げます。

 扨(さ)て、春も近づき、気候も大分暖く成りました。貴国も櫻(=桜)花の満開時と想ひます。それに反し、世情は冷たくなり、美伊の開戦(註1)及北鮮(註2)の強場動作、日本人拉ち等、及(および)中国が台湾に対する壓力(あつりょく=圧力)等で台湾國の在住民は、心も晴れません。現在の台湾の状況は戦後、逃難の中國政権及其(そ)の難民達が五十餘(=余)年の専制政治で台湾人に対する圧迫で、台湾獨(=独)立の必要性を大部分の台湾住民は希望して、いや激しく希望してゐます。でも過去及、現在の政治家はそれを無視してゐます。民間には建國党と云ふ組織が台湾の政治改正及獨立を目標に、努力してゐます。この悪環境に於けましては、経済的、環境的にて、手も足も出し難い想ひがします。幸ひにして、米國の種々援助に対し、かすかな希望を持ってゐますが、貴國親台派の方々にも、より強い援助及、貴國の政府に対して、圧力を掛けて、恐中政策を廃止し、より少し台湾に対し暖い政策を施す事を御願ひ致します。

 二次大戦に対し、私は日本は負けて勝った、と存じます。それは植民地(南洋諸国)解放の目的が達成した事です。

 終戦時は私は20才でした。日本舗道会社に勤務してゐました。當(=当)時(八月十五日)の玉音放送(註3)で泣きました。又色々日本人の友達の送還の時も色々日本の友達及学校の先生の世話もしました。長い昔の事でした。私はもう年寄りに成りました(77才)
もう心有餘、力不足(心は願っても体力が不足の意味)で台湾の将来は温仲民氏達の年層の人が、力を盡(=尽)くして下さる事を、願ってゐます。

 長たらく、書きました。今後共長く友達として、御交際下さる事をお願ひします。御住処をお知らせ下さい及電話番号でも。では、我が日本の國運繁昌を祈り、貴兄のお家族様の健康と幸福を祈祷しまして筆を置きます。

左様奈良(さようなら)

台湾、台北 03.3.26. 劉金和


  1. 「美」は亜利加(アメリカ)の、「伊」は拉克(イラク)の略で、「美伊の開戦」とは即ち米英によるイラク戦争開戦の事。

  2. 北朝鮮の事。

  3. 昭和20(1945)年8月15日、昭和天皇が日本国民に向けて、大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦を宣言したラジオ放送。終戦の詔勅。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

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by ayanokouji3 | 2003-03-26 19:42 | 日台に関わる人物 | Comments(0)