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北京五輪について-9

漢字だけは大事にしたいのは山々ながら、何といっても欧米主導の国際社会であることは確かである。

欧米の理解に汲々としていた明治の先達の翻訳による漢字の利用価値は大きかったに違いないが、一方で、硬直的理解を通じ無理が祟(たた)ったのは事実である。

総論や理想論を言っても始まらないものの、国家による国民教育というのは善(よ)し悪(あ)しがあり、民度にもとづき緩急を弁(わきま)えたものが望ましい。

北京五輪は、日本の歩みと教育の虚実を再考させる良い機会となった。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2008-08-21 20:38 | Comments(0)  

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