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北京五輪について-4

私の予想に反し、北京五輪は開幕してしまったが、血塗られた独裁国家での開催を嘲笑(あざわら)うかの様に、東トルキスタン(ウイグル)では流血が繰り返され、開催地・北京では米国人が支那人に刺殺され、遠く離れたカフカス(コーカサス)では、ロシアとグルジアが戦火を交えた。

翻(ひるがえ)って、当の五輪自体はどうであろうか? 華々しく全世界に中継放映された開会式では、夜空に描かれた足形の花火はCG合成、革命歌曲を「歌った」筈の少女は口パク、とまあ偽装演出が明らかとなった。まあ、毒入り餃子事件に際し、明らかに「中国」国内で混入したにも関わらず、国内での混入を断固として否定、その後、自主回収した件の餃子を食した支那人に中毒症状が出た事が明らかになる等、否定に否定、偽装に偽装を繰り返している「中国」であるから、さほど、驚きはしない。いや、「抗日戦争に勝利」して政権を手にした等と豪語していながら、その実はネパールのネパール共産党毛沢東主義派、ペルーのセンデロ-ルミノソ(輝く道)とさして変わらない「左翼共産ゲリラ」でしか無かった中国共産党の「栄光の歴史」自体が虚構と歴史捏造の固まりであるのだから、致し方あるまい。

五輪が最終日まで恙(つつが)なく行われるのかどうか分からないし、抑(そもそ)も、私はテレビ中継自体を見る気にもならないが、せめて、日本選手メダリストの一人くらいは、喉(のど)から手が出る程、欲しかったエベレストへの道を断ち切って迄して、「中国」によるチベットへの暴挙を糾弾した登山家・野口健氏に倣(なら)って、表彰台上からテレビカメラに向かって「フリー・チベット!!」位は叫んで欲しいものだ。

スポーツ(五輪)と政治は別物とはよく聞く話だが、五輪を自国の国威発揚と民族団結、更には自国を大国として世界にアピールする為の「政治の道具」として存分に利用している「中国」と、彼の国との通商の為には思想信条をかなぐり捨ててでも媚(こ)びるサルコジ・フランス大統領や、我が日本の福田総理の醜態を見せつけられると、五輪=政治ショーである事を嫌が上にも認識させられる。

スポーツ選手は「五輪」と言う晴れの舞台に臨む為に大変な練習を積んできた事は理解出来る。然(しか)し、「五輪」の陰で、裏で、弾圧と抑圧、虐殺が繰り返されてきた、そして、今現在も繰り返されている事を考える時、単なる「スポーツ馬鹿」で良い筈等決して無い。

スポーツ選手も、そう言った「負の側面」に対して目を背ける事無く、厳しく指摘する点は指摘して欲しいし、それがスポーツマンシップを体現した真のスポーツマンでは無いか、と私は思うが、読者諸氏は如何(いかが)感じたであろうか。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2008-08-13 21:42 | Comments(0)  

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