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「中国台湾接近の時代へ」について-8

 夫禍福之転而相生、其変難見也。近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、
「此何遽不為福乎。」
居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、
「此何遽不能為禍乎。」
家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、
「此何遽不為福乎。」
居一年、胡人大入塞。 丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

◇  ◇  ◇

夫(そ)れ禍福の転じて相生(あいしょう)ずるは、其(そ)の変見え難(がた)きなり。塞上に近きの人に、術を善(よ)くする者有り。馬故無(ゆえな)くして亡(に)げて胡に入る。人皆之(みなこれ)を弔(ちょう)す。其の父曰(のたま)はく、
「此(こ)れ何遽(なん)ぞ福と為(な)らざらんや。」と。
居(を)ること数月、其の馬胡(こ)の駿馬(しゅんめ)を将(ひき)ゐて帰る。人皆之を賀す。其の父曰はく、
「此れ何遽ぞ禍と為る能(あた)はざらんや。」と。
家良馬に富む。其の子騎を好み、堕(お)ちて其の髀(ひ)を折る。人皆之を弔す。其の父曰はく、
「此れ何遽ぞ福と為らざらんや。」と。
居ること一年、胡人大いに塞に入る。丁壮(ていそう)の者弦(げん)を引きて戦ひ、塞に近きの人、死する者十に九なり。此れ独り跛(は)の故(ゆえ)を以(もっ)て、父子相保(たも)てり。故に福の禍と為り、禍の福と為るは、化極(きわ)むべからず、深(ふかく)測(はか)るべからざるなり。

これは、漢代支那の古典『淮南子(えなんじ)』に収められた「塞翁が馬」と言う逸話で、一見、「幸(福・吉)」と思える事が、後に「不幸(禍・凶)」となる事もあり、又その逆もある事の譬えとして有名です。

扨(さて)、私が何故(なにゆえ)この故事を引き合いに出したのか? 台湾は先の立法委員選挙ばかりか、総統選に於いても民進党は敗北を喫し、間もなく国民党が政権の座に返り咲きます。独立志向の強かった民進党から、支那への接近を図る国民党の時代を迎える台湾では、前途を悲観する向きもまま見受けられます。斯(か)く言う私も台湾公民では無いものの、その中の一人であると言っても過言ではありません。然(しか)し、「塞翁が馬」の故事よろしく、何が福で何が禍(わざわい)であるかは蓋を開けてみなければ分かりませんし、これから先、どう転ぶかも分かりません。

人間万事塞翁が馬

いつ何時(なんどき)、時代が大きく動いても良い様に、常に心構えだけは整えておいて欲しい。そして、いざと言う時、臨機応変に立ち回り本領を発揮出来るよう、台湾公民の皆が今を大切に生きていって欲しいと心から思うのです。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2008-04-20 22:09 | Comments(0)  

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