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歴史の見方と台湾について

6年前のことになるが、歴史の好きな弁護士兼事業家であった鹿島曻(1926-2001)氏の一見、荒唐無稽と思われる内容の著書に初めて接したとき、驚いたことを覚えている。同氏の論点は次の3点に要約出来る。

  1. オリエントと東アジアは古代、海(海のシルクロード)及び陸(タイのバンチェン経由)を通じて実際には広汎な移動、交流があった。

  2. 日中韓の古代史にはそれぞれ捏造した部分がある。就中、司馬遷『史記』の始皇帝以前の部分については、オリエント史よりの借史である。

  3. 日本の天皇は万世一系ではない。

ことの真偽はさておき、同氏の「歴史観」は歴史学界では取り上げられることもなく、完全に無視されたまま、同氏は逝去した。

さて、思い起こすに、我々の世代は江戸時代を戦前より更に暗黒で窮屈な時代と信じて成長した。昭和60年頃より江戸時代のシステムが環境を重視したものであったと再評価され、今日に至っている。歴史観とは見方一つで如何様にも変化するのである。

仮に鹿島曻氏の歴史観によれば、中華民族(中国大陸に現存する全民族)の栄光を唱える共産党政府(そのために日本には「支那」と呼ばれたくない)の現在の支配者である漢民族が、古代より他民族の植民地の奴隷階級たる民族であったことになり、また、かつて大陸にいた倭人の後裔たる日本人が中国大陸に進出したのは、「侵略」ではなくなる。何れも些か牽強附会であるにせよ、前者については、大衆の民度の低いことや政府の外交政策に「徳」が感ぜられないことから、「当たらずと雖も遠からず」といったところだろうか。

台湾について言えば、明末には海賊の根拠地であり、一時期、混血児鄭成功(母は日本人)がオランダ軍を駆逐して、清国に対抗したことがあったが、日本の領有まで一貫して「化外之地」であったことは確かである。一説には、領有後、「生蕃」を「高砂族」と呼ぶことを提案したのは当時の皇太子(後の大正天皇)であったという。領台以来、歴代総督の手腕、事件、その他日台交流の事蹟につきここで更めて贅言するには及ばない。

付言すれば、台湾とは、過去の日本を探り(何が正で何が誤りであったか)、現在の日本につき再考(果たして今のままでよいのか)し、将来の日本のあるべき姿(東アジアの体制は如何にあるべきか)を模索する一つの切り口となり得ることは確かである。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-02-23 20:52 | Comments(0)  

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