台湾住民投票について-2
抑(そもそ)も、民衆(国民であり公民)の意を汲む、そう言ったシステムが、「民主主義」であるものと私は考えています。この「民主主義」── いや、「デモクラシー」と言った方が良いのかも知れません ── は、国によって、民衆の政治への関与の度合いに違いはありますが、「住民投票」と言うものは、その「民主主義」の最たるものと言っても良いでしょう。その「住民投票」── 然(しか)も、民主主義国家・台湾での住民投票に対し、同じ民主主義国家、然も、「自由と民主主義陣営の盟主」を自認する米国が、反対を表明する。その事自体が抑も米国の迷走ぶりを象徴しており、一方は大量兵器開発保有の疑惑を盾に軍事侵攻し政権を打倒(イラク)、かたや一方は、核実験と弾道ミサイル発射実験、更には民間人拉致や麻薬・偽札の製造迄、国家の管理下で行っていたにも関わらず金融制裁を解除(北鮮)すると言った、ダブルスタンダード(二重基準)を平然と行っており、だからこそ、米国に対する反感や反発が増大し、いつ迄経ってもテロリストの標的になる訳です。その意味では、米国に対するテロと言うものは ── たとえ、9.11が米国の国家権力による自作自演だったとしても ── この先、増えこそすれ、決して減る事は無いでしょう。
さて、米国に対する批判ばかりを書いてしまいましたが、台湾問題に話を戻しましょう。以前から何度と無く述べてきた事ですが、「台湾問題」と言うものは、日本にとって「遠い外国の問題」では無く、言い換えれば、「内政の延長」である訳です。それは、たとえば、シーレーンの面から見れば経済・資源問題であり、尖閣・先島諸島や沖縄本島=日本の南西部の防衛と言う面から見れば国防問題に直結する訳で、日本がこの問題をただ指を咥(くわ)えて黙って見ていれば良い、と言ったレベルのものではありません。
昨今、日本と支那の関係は、「政冷経熱」から「政冷経涼」云々と言った話をよく耳にしますが、私は「政冷経涼」大いに結構と思っています。政治と経済は密接に連動していると同時に、政治と経済は別々に機能する事もままあります。日本が支那の反発を充分承知の上で、台湾に肩入れしたとしても、日本と支那の経済関係の現実から見れば、支那がおいそれと日本との関係を見直す事等到底出来ようがありませんし、支那が本気で日本に国交断絶を通告してくる勇気もありません。何故なら、日本無しでは立ちゆかないのが、支那の現実なのですから。
米国も日本も、支那との関係が悪化する事を承知の上で、敢えて「火中の栗」(台湾の独立承認、又は追認)を拾いに行く事は無い。確かにそうなのかも知れません。然し、一線(ハードル)を越えて、その「敢えて」を拾いに行く事も時としては大事な事であり、日本が戦後レジームからの脱却を完遂しようとするのであれば、決して避けては通れないもの。その一つが「台湾問題」では無いか、と私は思う訳です。
さて、米国に対する批判ばかりを書いてしまいましたが、台湾問題に話を戻しましょう。以前から何度と無く述べてきた事ですが、「台湾問題」と言うものは、日本にとって「遠い外国の問題」では無く、言い換えれば、「内政の延長」である訳です。それは、たとえば、シーレーンの面から見れば経済・資源問題であり、尖閣・先島諸島や沖縄本島=日本の南西部の防衛と言う面から見れば国防問題に直結する訳で、日本がこの問題をただ指を咥(くわ)えて黙って見ていれば良い、と言ったレベルのものではありません。
昨今、日本と支那の関係は、「政冷経熱」から「政冷経涼」云々と言った話をよく耳にしますが、私は「政冷経涼」大いに結構と思っています。政治と経済は密接に連動していると同時に、政治と経済は別々に機能する事もままあります。日本が支那の反発を充分承知の上で、台湾に肩入れしたとしても、日本と支那の経済関係の現実から見れば、支那がおいそれと日本との関係を見直す事等到底出来ようがありませんし、支那が本気で日本に国交断絶を通告してくる勇気もありません。何故なら、日本無しでは立ちゆかないのが、支那の現実なのですから。
米国も日本も、支那との関係が悪化する事を承知の上で、敢えて「火中の栗」(台湾の独立承認、又は追認)を拾いに行く事は無い。確かにそうなのかも知れません。然し、一線(ハードル)を越えて、その「敢えて」を拾いに行く事も時としては大事な事であり、日本が戦後レジームからの脱却を完遂しようとするのであれば、決して避けては通れないもの。その一つが「台湾問題」では無いか、と私は思う訳です。
by ayanokouji3 | 2007-06-20 23:58 | Comments(0)