人気ブログランキング | 話題のタグを見る

連行・慰安婦訴訟について

戦争による被害を認めつつも、求償権放棄という法実務的な遁辞を以て糊塗するとは一体全体何事か、と思う。

行政・立法が300日問題等、現実問題で右往左往するのは致し方ないとしても、司法が60~70年前の国のありようを他国人から訴えられ、その被害を認めてしまう体たらくは、実に情けないと常々考えている。

思えば、小生の周囲にも、小市民的マイホーム主義に毒され、父祖の事蹟に関心を抱くような心の余裕もなく、将来の見通しも立てられず、精神的にその日暮らしである者も多い。国民が全体的にそうだとは言わぬが、そのような精神弛緩は確かにあちこちに看取出来る。

とはいえ、憂国の思いが単なる自分勝手な思い込みとならぬよう、自戒することとしよう。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2007-04-28 19:06 | Comments(1)  

Commented by 古川 宏 at 2007-04-28 20:29 x
賠償訴訟が起こされるのは、敗戦国の日本が旧植民地よりも体制が良く機能しているという表われでもあり、この点は忘れるべきではない。

<< 台湾問題について 加藤・山崎両氏の訪中について >>