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憲法改正問題について-2

古川さんが憲法改正問題を取り上げましたので、私もこの問題について私見を述べたいと思います。

昨今、「改憲」(憲法改正)、「改憲」と叫ばれていますが、抑(そもそ)も「改正される可(べ)き対象」である『日本国憲法』(以下、『昭和憲法』と略)には、法的正当性に疑問を抱かざるを得ません。

『昭和憲法』が胎動したのは、終戦間もない昭和20(1945)年10月の事です。この時、連合国軍総司令官の地位にあり、米国の日本占領行政の最高責任者であったダグラス=マッカーサー元帥(以下、「マ元帥」と略)は、日本政府に対し憲法改正を勧告しました。それを受けて、日本政府は天皇大権(天皇の統治権総攬)を踏襲する改正案を作成し、マ元帥に提出しました。詰まり、あくまでも『大日本帝国憲法』(以下、『明治憲法』と略)の原理原則は変更しない「改正案」を用意した訳です。然(しか)し乍(なが)ら、この日本政府案があくまでも天皇主権を謳っている点に承伏しないマ元帥は、日本政府案を拒絶。自分達GHQで、然も一人も憲法学者がいないメンバーで構成したチームで、大袈裟に言えば「一夜漬け」の如き短期間で憲法草案を作成しました。そして、内容の大幅な変更を認めず、「万が一、拒絶すれば、天皇の生命の保証は無い」と言う恫喝を以て、日本政府にGHQ草案を呑ませ、結果的に原案が英文である米国製の草案が『昭和憲法』として出現した訳です。

改憲反対派は、「9条」の護持を持ち出したり、『昭和憲法』が帝国議会での承認・可決を経て、更には昭和天皇の上諭がある事を以て正当である、と主張します。然し、当時の戦時国際法である『ハーグ陸戦法規』では、基本的に「占領している側は、占領されている国の法律を一切変更してはならない」と規定しています。そして、日本は昭和26(1951)年9月8日の『サンフランシスコ平和条約』調印を経て、同条約が発効した翌昭和27年4月28日に漸(ようや)く国際社会に復帰 ── 詰まり、「独立」を果たした訳で、昭和20年8月15日の終戦から昭和27年4月28日迄の間は「占領期」であり、その真っ只中にあった昭和21(1946)年11月3日に公布された『昭和憲法』は、『ハーグ陸戦法規』と言う国際法に明確に違反する代物だったと言えます。

だからと言って、今更、60年間も使ってきた『昭和憲法』を全面否定する事は出来ません。とは言え、スタートが米国製であり国際法違反の産物をこのまま後生大事に護っていく事に対しては、異議を唱えずにはいられません。そこで、先ずなされる可きは、『昭和憲法』の法的無効及び『明治憲法』の法的正当の確認です。そして、新憲法草案を作成、『昭和憲法』の無効と『明治憲法』の復活を宣言し、その正当性のある『明治憲法』を「改正する」と言う形式を採って、新憲法(平成憲法)を公布すれば良い訳です。詰まり、要は法的に「筋を通す」と言う事であり、何も60年以上も前の『明治憲法』を復活させ、その憲法をそのまま一言一句変更する事無く用いると言っている訳ではないのです。恐らく、私も含め、現行憲法無効論派の多くが、この様な考え(論理)でいるのでは無いでしょうか?

ボタンを掛け違えたのであれば、もう一度最初からボタンを掛ければ良い。登山で道を間違えたならば元来た道を戻り、改めて正しいルートを登れば良い。改憲論議も、現行憲法誕生の経緯 ── スタート地点に戻り、絡んだ糸を解(ほど)く所から始めれば良い。国家の基本法であり、最高法典である憲法だからこそ、尚更、「正当性」と言う面に拘(こだわ)る可きであり、米製(Made in USA)では無い日本独自の新憲法(改正大日本帝国憲法)が公布されて初めて、「日本の真の独立」が達成されるのでは無いか、と私は考えます。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2006-12-04 20:10 | Comments(0)  

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