台湾の地形について
最近、『日本漢文学史』という本を読み、明治年代、後藤新平民生長官の下で外交文章を草したといわれる館森袖海(1862-1942)の漢文に触れ、得るところがあった。
それは、明治35(1902)年12月、友人やその子供達と総勢19名で、台北の大屯山に登ったときのことを記したものである。
(出典)
『日本漢文学史』629-630頁(猪口篤志著、昭和59年角川書店刊)
それは、明治35(1902)年12月、友人やその子供達と総勢19名で、台北の大屯山に登ったときのことを記したものである。
(読み下し文)台北・宜蘭間の「北宜高速道路」で、16日に開通したトンネルが道路トンネルとしてはアジア最長となるということを知り、台湾の地形にあらためて思いを致したことである。
是ノ日、天晴レ、四モニ雲翳無シ。亀崙・屈尺ノ諸山ハ、三貂・獅球ノ諸嶺ト迥カニ相対拱ス。宜蘭ニ入レバ番境ナリ。而シテ台北ノ野ヲ開キ、淡水之ヲ断ツコト白練ヲ曳クガ如シ。・・・夫レ台島ハ高山峻嶺多シ。大屯ノ若キハ則チ未ダ高峻ヲ以テ言フ可カラズ。然レドモ今跋歴スル所、路極メテ険悪ニシテ、而モ逶邐盤陀スルコト、羊腸ノ如シ。
(出典)
『日本漢文学史』629-630頁(猪口篤志著、昭和59年角川書店刊)
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2006-06-17 18:59 | Comments(0)