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情報社会について-4

歴史認識に関する陥穽(かんせい)とは、歴史の本質が教科書、市販の歴史書、甚だしきに至っては「司馬史観」といった逸話・挿話・説話集にあるものと錯覚し、これを無批判に受入れ、固信することである。

これほど不幸なことはあるまい。何故なら、自らの立脚点を持たず、他人や他国からの歴史の押し付けにも不用意に迎合する可能性も出て来ることになるからである。

歴史とは過去に存在した人間達の営みの系譜ばかりではない。現在生きている人々の生活に如実に反映されている。このことを知らずして江戸・明治時代を美化したり、戦前の昭和を貶(おとし)めるのは間違っている。

皮相な物質世界に生きている人々が、自らを情報社会の主役と思い込んでいるのは笑止に堪えない。

(註)
1985年、小生は『韃靼疾風録(だったんしっぷうろく)』につき感想を司馬氏へ送ったところ、丁重な内容の自筆の葉書を得た。司馬氏の功績を完全否定している訳ではない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2006-03-19 18:03 | Comments(0)  

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