情報社会について-3
さて、栄養過多が身体不調を招くのと同様、情報が溢れる今日では、情報過多が精神不調を齎(もた)らすのである。
情報の中には珍説・奇想・妄誕が時としてある。こうしたものに興味を持ち、拘泥していては、正当な判断が出来ない。
老子の気の利いた言の如く、「塞其兌閉其門終身不勤」(第五十二章、そのあなをふさぎそのもんをとざせばしゅうしんつかれず)であれば、雑多で無用な刺戟に染まり、惑わされることはない。
自らが確固とした立場を築いておれば、無意味な健康法、高くつく宗教、各種知能犯罪の被害者となることはない。次元は違うが、歴史認識に関する陥穽(かんせい)もそうである。
情報の中には珍説・奇想・妄誕が時としてある。こうしたものに興味を持ち、拘泥していては、正当な判断が出来ない。
老子の気の利いた言の如く、「塞其兌閉其門終身不勤」(第五十二章、そのあなをふさぎそのもんをとざせばしゅうしんつかれず)であれば、雑多で無用な刺戟に染まり、惑わされることはない。
自らが確固とした立場を築いておれば、無意味な健康法、高くつく宗教、各種知能犯罪の被害者となることはない。次元は違うが、歴史認識に関する陥穽(かんせい)もそうである。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2006-03-18 19:46 | Comments(0)