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『米国務副長官の構想と歴史観について』について

ゼーリック米国務副長官の構想に対して、24日、孔泉・支那外交部報道局長が、
北東アジアの歴史は特殊性がある
として事実上の拒否表明をしました。そして、孔泉局長は同時に、その特殊性を、
中国、韓国、日本に直接関係する
と指摘したそうです。

詰まり、三国の「特殊性」故に、米国等他国の介在を決して許さぬ、との事なのでしょう。それでは、「中国、韓国、日本に直接関係する」と言う「特殊性」とは、具体的には何なのか? 私は、その「特殊性」をこう考えます。

 中国が捏造し

 韓国が改竄し

 日本が呑まされている


と言う「歴史観」である、と。其処(そこ)には、歴史的事実等二の次で、自国に有利な「歴史」を勝手に「創り」、それを日本に強いる事によって、日本の伸張を抑制し、翻(ひるがえ)って、支那が極東に於ける新興大国の座を揺るぎないものとする。又、韓国も支那の「腰巾着」として、その「お零(こぼ)れ」に与(あずか)る、そんな「特殊性」があるからこそ、米国の介在を快く思わなかったのでしょう。

もっとも、私も古川さんと同様、日本にとっては甚だ「有難(ありがた)迷惑な話」です。抑も、極東の「歴史」を、北鮮核問題に於ける六ヶ国協議同様、米国等他国が口を挟むべき問題ではありませんし、なまじの仲介は話を余計複雑にするでしょう。又、60年前の歴史を問うと言うのであれば、必ずや日米戦争の再定義にも行き着く訳で、真珠湾「奇襲」(実際には「奇襲」=「騙し討ち」では無い)や原爆投下に対する解釈にも行き渡ります。その時、米国が日本に歩み寄るのか? 「日本悪者論」によって始まった戦後体制を揺るがしかねない歴史の再定義に、現時点の米国が到底応じる筈も無く、日本は支那・韓国と同時に米国からも歴史観を強いられる可能性の方が大きく、それならば、寧ろ、「捨て置いた」方が、余程、利口と言うものです。

「靖国参拝」でもそうですが、支那・韓国がギャーギャーと口五月蝿(うるさ)く喚(わめ)くのであれば、喚かせておけば良い。そして、たとえどんなに喚かれても、日本が一切の妥協も譲歩もせず、支那・韓国に屈しなければ、それで良い。「歴史」は所詮、見る方向や主観によって大きく左右される代物ですから、どんなに話し合った所で、統一した歴史観等と言うものは醸成されえません。それを踏まえた上で、互いが妥協出来うる最大公約数で協調するのが外交である訳ですから、相手が距離を取りたいと思っている時には、そのまま捨て置き、接近したがっている時に初めて「チラッ」と横目で見てやれば良いのです。ですから、今後も日本が無理に支那・韓国に合わせる必要は全く無く、やれ「孤立する」だのと言った焦燥に囚われる必要も全く無いものと思います。

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

by ayanokouji3 | 2006-01-27 20:23 | Comments(0)  

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