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米国務副長官の構想と歴史観について-4

こうした事情を勘案すれば、日中間の意見を統一したり、見解を一致させたりする必要は全くなく、意見は「異見」としてそのままにしておき、日本側は中国側の覚醒を願いつつ、「百年河清を待つ」といった気の長い気持ちで放置しておけばよいと思う。

安易な妥協・同情・同調といったものは、国益に副うものとはならない。そのうちに、日中間に事件でも起これば、口先ばかりで中味・実体のない、浅薄な歴史観どころではなくなることだろう。

米国の何時ものお節介は有難く聞き流し、日本は日本の流儀で構えておれば、何も問題はない。そうした流儀で一貫して行くことが、真の歴史観と歴史認識を得る唯一の道である。

このままでは「世界の孤児」、「アジアの孤児」になってしまう。否既にそうなっているといった文辞を用いたり、アジア外交の不毛を嘆くエセ「憂国の士」は、その志自体は多とするも、勝手に言わせておけばよい。そのように考える今日此頃である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2006-01-27 19:25 | Comments(0)  

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