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映画『悲情城市』について-5

話は飛躍するが、228事件に限らず、こうした被害者意識とそれに同情・同調する姿勢こそが、歴史を歪曲し、自己の都合のよいように解釈することにつながって行く。

それは個人に限らず、国についても言える。被害者意識を前面に出す中韓政府は、そのトップに高邁な精神が全くみられない。それは結局その人民・国民にもそうしたものがないということである。中韓政府の意向に同情・同調する日本の一部勢力もまたそうである。甚だ憂慮に堪えない。

日本の一部勢力が北京詣での折、共産党幹部と、高邁な精神に欠けた同士で何回話し合ったところで、歴史認識については解決しないのは判り切っている。これに比べれば、昨年、二元外交による「国共合作」を喧伝して党勢を拡大した国民党の方が余程上手(うわて)である。

かつて『悲情城市』を見て、恩讐を越えたものを感じ取ったことを思い出し、それをもとに、縷々(るる)綴ってみた次第である。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2006-01-22 18:24 | Comments(0)  

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