明治期の中学生の作文について
最近、明治40年代に夭折した中学生の遺した草稿類に接した。手紙の控は毛筆、こなれた候文体で、日記や作文はペン書きの口語体となっている。
作文の中に、概要次のようなものがあった。
(註)
この中学生の姉婿は台湾で警官として殉職し、姉と遺児は実家に戻っていた。別の姉婿は朝鮮総督府に勤めた。
作文の中に、概要次のようなものがあった。
明治42(1909)年夏、地理の教師から来年の6月頃は何かあるといわれていたが、果せるかな、2ケ月後(おく)れて日本が韓国を併合した。寺内統監のやり方はなかなかうまかった。韓国は日本に屋敷養子に来て朝鮮と名を改めた。皇帝は李王となった。李王は聡明であると新聞屋はいう。ある新貴族が自殺をしかけてやめた。自殺をしとげるような人があれば、どうして併合なんぞされるものか。韓国はわがものとなった。僕も行ってみたいような気持もするが、行ってみたって何になるものかとも思う。百年近く前のもので、中学生の素朴な感想が表れており、何となくなつかしさを覚える。また、学習メモには、「台湾征伐」につき次のように記している。
我ガ漂流民台湾ノ生蕃(せいばん)ニ殺サル由テ日本ハ其罪(そのつみ)ヲ問ヒシニ清ハ生蕃ノ地ヲ化外(けがい)ノ地ナリト答ヘシヲ以テ日本ハ西郷従道ヲ総督トシテ之(これ)ヲ平定セシム 然(しか)ルニ急ニ清ハ異議ヲ唱ヘ撤兵ヲ要求ス 結果=大久保利通清国ニ使シテ論難ノ末清ハ償金五十万両ヲ出シ和議ヲ結ブ(明七)今の中高生は如何(いか)なる記録を残して行くのか、些(いささ)か興味がある。
(註)
この中学生の姉婿は台湾で警官として殉職し、姉と遺児は実家に戻っていた。別の姉婿は朝鮮総督府に勤めた。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2005-12-27 19:59 | Comments(0)