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泡茶開講@崇光天皇~竹田恒泰 氏 男系男子19代のながれ

■まず初めに崇光天皇について説明を・・。


【北朝三代 崇光(すこう)天皇】
御名:   益仁(ますひと)
生没年:  1334(建武元年) ~ 1398(応永5年)(65歳)
在位:   1349(正平4年) ~ 1351(正平6年)
父:    光厳天皇
母:    三条秀子
皇后:   庭田資子
皇妃:   治部卿局、三条局
皇子女:  栄仁親王、興信親王、弘助親王、瑞室、阿栄蔵王、皇子某、皇女某
皇居:   平安京(へいあんきょう:京都府京都市)
御陵:   大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ:京都府京都市伏見区桃山町泰長老)

 北朝初代光厳(こうごん)天皇の皇子で3年間在位。

1334(建武元年四月二十二日)・・・生誕
1340(暦応三年八月)・・・・・・・親王宣下され、立太子に
1348(貞和四年十月二十七日)・・・十五歳で践祚
1351(観応二年正月)・・・・・・・在位四年目に擾乱に乗じた南朝軍に京を攻められ、内裏より仙洞持明院殿に移る
1351(観応二年十一月七日)・・・・天皇を廃され、十二月に太上天皇の尊号を受ける
1352(観応三年)・・・・・・・・・光厳・光明院と共に賀名生に移される
1357(延文二年)・・・・・・・・・京都に帰り伏見殿に住む
1392(明徳三年)・・・・・・・・・出家
1398(応永五年正月十三日)・・・崩御


 北朝後ろ盾の足利尊氏・直義兄弟とはしばしば対立を繰り返し、崇光天皇はその難を逃れるために持明院へ。 南朝・北朝との戦いは戦火・和睦を試行しますが、その南北朝の和睦時には北朝の「神器」を南朝方の後村上天皇に渡さざるを得なくなり、 そのため以後2代北朝には「神器」は無い事になります。

ちなみに・・・

1369(応安二年)・・・・・・・・・仙洞持明院殿での内裏歌会を催す
1370-1371(応安三~四年)頃・・・ 判者に冷泉為秀を招き、残存する京極派歌人達を結集して仙洞歌合を開催



伝崇光天皇筆
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 二条派に転じた後光厳天皇に対抗し、京極派の歌風を最後まで守り立てようとしました。 新千載集初出、勅撰入集は計18首でした。










●典侍:源(庭田)資子.. 生没年不詳<号:杉殿・按察使典侍>
父:権大納言 庭田重資

1345.. 光明天皇の宮に入り、典侍となる(4月)
..... この後、一時退下する
1348.. 崇光天皇践祚(10月),即位
..... 崇光天皇の宮に入り、典侍となる(12月)
1351.. 皇子(栄仁親王)を生む
..... 崇光天皇、足利氏の内紛により廃位される(11月)
1352.. 崇光上皇、光厳・光明上皇らとともに賀名生に幽居される
1357.. 崇光上皇ら、京に帰還,伏見殿に住む1392
1358.. 皇子(興信法親王)を生む


* 所生の皇子女
1351~1416.. 栄仁親王(伏見宮初代)
1358~1391.. 興信法親王


 権大納言・庭田重資の女で典侍、従三位そして杉殿と称す。 光明天皇の代には典侍となるも退下しますが、崇光天皇即位の年では再び宮に入って典侍となりました。 1351年に栄仁親王を、崇光院が賀名生に幽閉され帰京した後、1358年に興信法親王を生みました。

●宮人:(三条局).. 生没年不詳<法名:真修院>

1378.. 皇子(弘助法親王)を生む

* 所生の皇子女
1378~ ? .. 弘助法親王(仁和寺御室)
? ~1420.. 阿栄蔵主(坂本知恩寺住持)
? ~1429.. 瑞宝女王(真乗寺・景愛寺住持)
? ~1424.. 皇女(入江殿住持・栄寿院)
? ~ ? .. 皇子(叡蔵主)


 『看聞日記』には「仕女」とあり、ひときわ寵愛されたという。 また、系譜不詳ですが、崇光上皇の晩年近く、伏見殿に仕える女房だったと思われます。




■つづいて・・・これは伏見宮系図とも言いますが、竹田恒泰 氏に繋がるながれはこんな感じになりますね。 なお全角数字は各宮家当主の世代です。

北朝第三代
崇光天皇

↓  伏見宮
┗1栄仁親王┳━━━━━┓
□□□□□□┗ 2治仁王


┗3貞成親王(後崇光院)━ ┓


┗━┳4貞常親王━5邦高親王━6貞敦親王 ┓
□□┗━第百二代後花園天皇


┗ 7邦輔親王 ┳ 9邦房親王 ━━━━━━━┓
□□□□□□□┗8貞康親王


↓□□□□□□ ┏11邦尚親王
┗10貞清親王 ╋13貞致親王 ━┳14邦永親王━━━━┓
□□□□□□□ ┣12邦道親王 □┗理子女王(徳川吉宗室)
□□□□□□□ ┗顕子女王(徳川家綱室)


↓□□□□□□┏16邦忠親王=17貞行親王(第百十六代桃園天皇第二皇子)
┣15貞建親王┻18邦頼親王 ━19貞敬親王━━━━━┓
┗培子女王(徳川家重室)


┣20・23邦家親王 ━━━━━━━━━┓
┃ 梨本宮
┗1守脩親王


┃ 山階宮
┣1晃親王━2菊麿王┳3武彦(武彦王)断絶
┃         ┣山階芳麿(侯爵)
┃         ┣筑波藤麿(侯爵)┳常治
┃         ┃        ┣常秀(常遍)
┃         ┃        ┗和俊
┃         ┣ 鹿島萩麿(伯爵)
┃□□□□□□□□□┗ 葛城茂麿(伯爵) ┳茂久=茂敬━宏彦
┃□□□□□□□□□□□□□□□□□□┗茂敬

聖護院宮
┣嘉言親王
┃       賀陽宮
┃     ┏1邦憲王━2恆憲王┳3邦壽(邦壽王)
┃     ┃         ┣治憲(治憲王)
┃     ┃         ┣章憲(章憲王)━正憲┳男子
┃     ┃         ┣文憲(文憲王)   ┗男子
┃     ┃         ┣宗憲(宗憲王)
┃     ┃         ┗建憲(建憲王)
┃ 久邇宮□┃
┣1朝彦親王╋2邦彦王┳3朝融(朝融王)┳4邦昭(邦昭王)┳朝尊
┃     ┃    ┃        ┃        ┗邦晴
┃     ┃    ┃        ┣朝建(朝建王)━朝俊
┃     ┃   □┃   □□□□□┗朝宏(朝宏王)
┃     ┃    ┣良子女王(香淳皇后)
┃     ┃    ┣久邇邦久(侯爵)
┃     ┃    □┗東伏見邦英(慈洽)(伯爵) ┳韶淑
┃     ┃             □□□□┣守淑━憲和
┃     ┃             □□□□┗睿淑━禎容
┃     ┃ 梨本宮
┃     ┣2守正王=徳彦(龍田旧伯爵家より)
┃     ┃□久邇宮
┃     ┣多嘉王┳宇治家彦(伯爵)┳嘉彦
┃     ┃   ┃        ┗家寛
┃     ┃   ┗龍田徳彦(伯爵)━徳久━吉光
┃     ┃ 朝香宮
┃     ┣1鳩彦(鳩彦王)┳2孚彦(孚彦王)━3誠彦(誠彦王)━明彦
┃     ┃        ┗音羽正彦(侯爵)
┃     ┃ 東久邇宮
┃     ┗1稔彦(稔彦王)┳2盛厚(盛厚王)┳3信彦(信彦王)━征彦
┃             ┃       ┣壬生基博(秀彦)┳基成
┃             ┃      □ ┃        ┗基敦
┃            □ ┃□□□□□□□┣真彦┳照彦━男子
┃            □┃       ┃  ┗睦彦
┃             ┃     □□┣寺尾厚彦
┣21貞教親王      □ ┃       ┗盛彦
┃             ┣粟田彰常(侯爵)┳常一
小松宮□□□□□□□□□□┃        ┗彰彦
┣彰仁親王(断絶)    □□ ┗多羅間俊彦(俊彦王)━アルフレッド稔彦
┃        竹田宮
┃      ┏1恒久王━2恒徳(恒徳王)┳3恆正(恆正王)━恒貴
┃      ┃             ┣恆治(恆治王)┳恒昭
┃      ┃             ┃       ┗恒智
┃      ┃             ┗恆和┳恒泰
┃      ┃             □□□ ┗恒俊
┃ 北川宮 □┃
┣2能久親王 ╋3成久王━4永久王━5道久(道久王)
┃      ┣小松輝久(侯爵)┳彰久━揮世久
┃      ┃       ┗豊久
┃      ┣二荒芝之(伯爵)
┃      ┗上野正雄(伯爵)┳正泰
┃               ┣龍雄
┃               ┣忠雄
┃               ┗久雄
┃ 華頂宮
┣1博経親王━2博厚親王=3博恭王━4博忠王 断絶
┃ 北白川宮
┣1智成親王
┃ □□□□□□□□□ 初華頂宮
┣22・24貞愛親王━後25博恭王┳博義王━26博明(博明王)
┃               □ ┣華頂宮4博忠王
┣清棲家教(伯爵)         ┣華頂博信(侯爵)┳博道┳尚隆
┃      □□□□□□□□□□ ┗伏見博英(伯爵)□┗博孝┣博俊
┃ 閑院宮                  □□□□□□ ┗博行
┣6載仁親王━7春仁・後改名純仁(春仁王)断絶

東伏見宮


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■やっと・・・できた--! 出来るだけ見やすくやろうと思ったら、このブログは文字はすべて『左詰め』で表示されるのでね、仕方なく□□□でスペースを空けざるを得なかったのよ。 そこのトコロご理解の程を。

でね、この先週末に例の竹田恒泰 氏の講演を拝聴しましたが、どんな血統を持った御方なのかお分かりになったでしょうか。 ちなみに明治天皇からも繋がりがあるけど、それは『孫の孫で女系男子』でもあり、血統はある意味融合しているんじゃないかな、思ったりする。

■この講演の模様・感想やまた竹田恒泰 氏の「ひい・ひいおじいさん」である北川宮能久親王についても今後書きたいのだけど、そう「台灣之聲」でも関係ある御方なんですよ。 それはぼちぼちといきますのでヨロシク! 



久保田泰啓 KUBOTA Yasuhiro

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by ayanokouji3 | 2005-12-12 07:29 | 日本の権威・皇室伝統 | Comments(0)  

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