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戦後71年の所感

 今年も今日この日を迎えた。8月15日、終戦の日である。

 毎年この日を前後して、左右両翼両陣営が論争を戦わせる訳で、現在の左翼に毒されたテレビや新聞等の既存マスメディアは、ここぞとばかりに「戦争と平和」をテーマに特集を組み、作為的に大衆に「如何に先の大戦で日本が道を誤ったか?」、「二度と日本は戦争をしてはいけない!」と言った事を刷り込もうとする。

 私も戦争が好きか嫌いか? 良いか悪いか? と聞かれれば、「嫌い」と言うし、「悪い」と答えるだろう。然し、それは、理由も無く、若しくは、私利私欲に駈られて「日本が仕掛ける戦争」に限っての話である。

 昨今、日本を取り巻く状況を鑑みると、正に「大戦前夜」の様相を呈している。それは、何も安倍政権が左翼言う所の「戦争法」を成立させ、戦争の道を邁進していると言う意味では無い。寧ろ、安倍政権は必死になって、如何に日本が戦争に巻き込まれずに済むか?を模索している。私が言いたいのは、戦後70年を経て、日本が大戦への道を歩んではいるが、先の大戦と異なり、攻守が入れ替わっていると言う事である。

 戦争は「独り芝居」では無い。喧嘩と同様、相手有っての事である。そして、今、日本が置かれている状況は、正に経済力をつけ、軍事力を増強している隣の大国「中国」(支那)の脅威に晒されているのである。南支那海を見れば良い。尖閣近海を見れば良い。「中国」は、力にものを言わせて、南支那海を我がものにせんと欲し、尖閣どころか沖縄、ひいては、日本国を手中に収めんと欲している。然し、当の多くの日本人は、その事に気が付いてはおらず、又、薄々感づいてはいるものの、鈍感になってしまっている。正に、鎌倉時代、日蓮が蒙古の脅威に対し警鐘を鳴らしたが如き国難が、ひしひしと近づいているのである。

 先の大戦、欧州では、ナチス第三帝国に国土を蹂躙されたフランス、首都ロンドンをミサイル攻撃された英国共に、開戦一年前迄は極めて平和で、まさか一年後に未曾有の大戦が再び起きよう等とは露共思ってはいなかった。しかし、実際に大戦は勃発したのである。

 話は戻って、我が日本である。今から一年後、尖閣侵略をきっかけに、日中戦争が再び起きても何ら不思議では無い状況にあると思っている。いや、既に戦争は始まっていると言っても過言では無い。戦争は、軍事力を使う「軍事戦」だけでは無い。経済戦、外交戦、情報戦と、ありとあらゆる方面で戦いは既に始まっており、その総仕上げとして、最後の「軍事戦」が控えているのみである。

 南支那海の一件は、日本から見て遠い世界の話では無い。中東から日本に運ばれる海運物資の輸送ルートは南支那海を経由しており、この海域を「中国」に支配される事は、日本の死活問題に直結するのである。そして、南支那海と沖縄・日本本土の中間に位置する尖閣も又、「中国」が空海軍迄繰り出して、虎視眈々と狙っている。これだけを取っても、正に日本は「開戦前夜」に置かれているのである。

 繰り返すが、私とて戦争はしたく無いし、嫌いだ。然し、相手がやる気満々で日本に戦いを挑んで来ようとしている以上、日本は好むと好まざるとに関わらず、受けて立たねばならない。そして、その時、あらゆる制約を排し、日本が全力で「中国」に仕掛けられるであろう戦争に相対し、勝利する為の陸海空自衛隊であり、安保法制なのである。その観点からも、現時点で日本は安倍政権の下、一致結束して国難に当たる覚悟を決めなければならない。戦争に対し、好き嫌いを言っていられる状況は、既に過去の話なのである。

 取り留めも無い事を、つらつらと書いたが、最後に諸兄諸氏に改めて強く言いたい。

 「日本は開戦前夜であり、攻められる側なのだ!」

と言う事を。

平成二十八年八月十五日

竹下義朗 TAKESHITA Yoshiro

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by ayanokouji3 | 2016-08-15 18:44 | Comments(0)  

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