戦後70年の終わりに当たり
戦後70年という年が終わりに近づきつつある。良きにつけ悪しきにつけ、総括が出来ない儘で終わるのは意味のあることである。
『文学界』12月号に「自然の成り行き」というタイトルの1頁のみの随筆で、海軍がミッドウェーの敗北を秘匿した経緯について海軍側の大本営発表担当者たりし田代格大佐が「自然の成り行き」と表現したと書いてある。
これを読んで、昭和59年に、小生が田代大佐の娘婿に当る人から随筆に記されている非売品の回想録を贈呈されていたことを思い出した。都内では政策研究大学院大学と水交会くらいにしか所蔵がないという。
「自然の成り行き」、これ以外に表現のしようがあるのだろうか。如何にも日本らしい、また、率直な表現である。
『文学界』12月号に「自然の成り行き」というタイトルの1頁のみの随筆で、海軍がミッドウェーの敗北を秘匿した経緯について海軍側の大本営発表担当者たりし田代格大佐が「自然の成り行き」と表現したと書いてある。
これを読んで、昭和59年に、小生が田代大佐の娘婿に当る人から随筆に記されている非売品の回想録を贈呈されていたことを思い出した。都内では政策研究大学院大学と水交会くらいにしか所蔵がないという。
「自然の成り行き」、これ以外に表現のしようがあるのだろうか。如何にも日本らしい、また、率直な表現である。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2015-12-27 21:46 | Comments(0)