文字・活字文化振興法について
先週成立した、文字・活字文化振興法の趣旨に関連して、7月30日付の『産経新聞』の「主張」を読んだ。
戦後の漢字制限や仮名遣いの改変が、先人の文字文化継承への阻害要因となっているので、漢字復活にまで視野を広げて法律を運用すべきという主張であるが、これは実際には難しい。
戦後、漢字が残っただけで十分である。そのお陰で、江戸や明治の文献も読もうと思えば読めるのである。いつの時代も文字や活字に興味を示さない人は多い。そうした人達ばかりを指して、世を嘆き、優等生ぶる評論家の言動や新聞記事は偽善的で滑稽でさえある。
それほど憂国の思いをもつのであれば、社説や記事に旧字体、旧仮名遣いで、勅語並の「平成版」美文や、お手本となるような「平成版」候(そうろう)文を自ら艸(そう)し、披露したら如何か。その上で、その効用が一般に浸透して行けば、旧字体、旧仮名遣いを漸次「復原」してもよい訳である。果してそうした覚悟はあるのか。
(註)
何事も安住してしまうと簡単には抜けられなくなる。『日本国憲法』や戦後教育がそうである。各方面の主義主張はあっても実際に現状を変革出来るかというとそうはならない。現状に甘んずることに、より多くのメリットがあるからである。
結局、変革への渇望は精神論を弄(ろう)することに行き着く。
ところで、小生のみるところ、エセ「憂国の士」には「口舌の徒」が多く、エセ「悲憤慷慨の士」には憤死するどころか、却って生きながらえる人が多い。可戒矣。
戦後の漢字制限や仮名遣いの改変が、先人の文字文化継承への阻害要因となっているので、漢字復活にまで視野を広げて法律を運用すべきという主張であるが、これは実際には難しい。
戦後、漢字が残っただけで十分である。そのお陰で、江戸や明治の文献も読もうと思えば読めるのである。いつの時代も文字や活字に興味を示さない人は多い。そうした人達ばかりを指して、世を嘆き、優等生ぶる評論家の言動や新聞記事は偽善的で滑稽でさえある。
それほど憂国の思いをもつのであれば、社説や記事に旧字体、旧仮名遣いで、勅語並の「平成版」美文や、お手本となるような「平成版」候(そうろう)文を自ら艸(そう)し、披露したら如何か。その上で、その効用が一般に浸透して行けば、旧字体、旧仮名遣いを漸次「復原」してもよい訳である。果してそうした覚悟はあるのか。
(註)
何事も安住してしまうと簡単には抜けられなくなる。『日本国憲法』や戦後教育がそうである。各方面の主義主張はあっても実際に現状を変革出来るかというとそうはならない。現状に甘んずることに、より多くのメリットがあるからである。
結局、変革への渇望は精神論を弄(ろう)することに行き着く。
ところで、小生のみるところ、エセ「憂国の士」には「口舌の徒」が多く、エセ「悲憤慷慨の士」には憤死するどころか、却って生きながらえる人が多い。可戒矣。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2005-08-03 19:31 | Comments(0)