自虐史観を斬る(田中隆吉-3)

田中隆吉の底辺に流れるものは私怨であった。彼は確かに人情家で、人の面倒を見たようである。能力もあり、憂国の情も人一倍あったと思う。併(しか)し、所詮それは匹夫の情であり、彼は一国の大事な時期に陸軍中枢の幹部をつとめるような器(うつわ)ではなかった。その証拠に、戦後に彼の記したものを読めば、誰しも怒るようなことが書いてある。今で言うところの週刊誌の暴露記事の類(たぐい)である。

真意が私怨であるが故に逆に救われた人達もいる。ジャワで死刑論告のあった今村均 陸軍大将と岡崎清三郎 陸軍中将である。彼はキーナンに、立派な軍人だとして死刑中止を求め、結果的に二人とも内地送還となった。これは抑(そもそ)も不公平というものだ。

さて、自虐史観というものの本質は私怨に基づく被害者意識である。それは己の不幸な運命を歎(なげ)き、誰かに何かに責任を転嫁せねば気持が収まらないという、下層社会の者や女子供の抱く感情である。その感情が意図的に増幅され、捏造され、これを利用せんとする勢力が手にしたとき、比類なき好材料となる。

東京裁判は国際場裡の舞台であったが、これに類したことは、国政、地方行政、団体・企業、個人の各レベルにおいても十分あり得ることである。

(註)
「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-2)」参照。
小生はかつて岡崎氏の子息が防衛大学校の副校長をしていたときに、仕事上会ったことがある。また、柳川平助氏(「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-3)参照」)の外孫(三菱商事重機部)にも会ったことがある。何(いず)れも昔のことには触れられたくないような様子であった。今こそ、職業軍人の子孫が声を大にして、父祖の歩みを説くことは大いに意味があると思う。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-17 13:17 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

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