自虐史観を斬る(田中隆吉-1)

陸軍の正規職業軍人が殆(ほとん)ど逝去した今となっては、田中隆吉を心底(しんそこ)恨みに思っている方々は皆無だと思われる。

昭和60年、谷田勇氏(「自虐史観を斬る(戦場にかける橋-3)参照)」と2回面談した時、当方よりも田中隆吉については触れなかったし、谷田氏もまた黙しておられた。谷田氏は自身「皇道派の末輩」と謙遜していたが、田中隆吉は統制派の一員であった。

二人を結びつけたのは憂国の思いであったことだろう。開戦時の兵務局長たりし田中隆吉は開戦後半年で和平を口にし、東條首相の悪口をいい、昭和17年9月予備役編入。一方の谷田氏は17年12月に敗戦のきざしを認識したという。翌18年5月、ラバウルへ転補、和平工作が憲兵に発覚したためであった。

谷田氏は、昭和48年、「偕行誌」にこう記している。
「 田中はしみじみと次のように語った。
『俺は、世間(せけん)、ことに旧陸軍から弾劾された。しかし、俺には三つの功績があったと自認している。第一は、天皇を戦犯はもちろん証人としても法廷に立たせなかったこと。第二は、A級戦犯の人員を絞ったこと。第三は、その人選を誤らなかったことである。』

 米国統合参謀本部は、既に21年1月に天皇を戦犯としない旨指令を出しているから、天皇戦犯問題については、田中自らが考えるほどの功績はないが、米国以外の検事団に声をひそめさせたこと、および最後の鍵である、東條被告の証言内容を事前に引き出した功は多としなければならない。(中略) 田中は後日宮内庁から下賜品を賜(たまわ)っている。このことは、現在、宮内庁の公式書類には残されていないが、田中は涙を浮かべてこのことを私に語った。」

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-14 10:38 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

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