自虐史観を斬る(満蒙開拓青少年義勇軍-2)

満蒙開拓青少年義勇軍に志願した多くの少年達の出身階級は貧農であり、彼等(かれら)はその次男、三男であった。学歴は殆(ほとん)どが高等小学校卒、青年学校中退であった。満蒙開拓が他国を侵略した無謀な試みであり、青少年義勇軍が世界史上例のない少年武装殖民であり、国策による一大児童虐待プロジェクトであったと断定することはたやすい。併(しか)し、満洲国の体制と絡めていえば、本当にそうだったのか。

抑(そもそ)も満洲国の実態を正確に描写することは難しい。軍事面からいえば対ソ連の防波堤であり、行政面からすれば少壮官僚の実験場であり、また農政面からは耕す土地のない日本の零細小作農の伜(せがれ)やその一家の移民の受皿であり、経済面では新興財閥の進出の場、その他思想面で右翼を含む浪人の活躍の場でもあった。満洲国に関する書籍といえば、上記の定義に鑑(かんが)み、関東軍の阿片による資金捻出・支配の暗黒世界、三流官僚・学者の苦悩の退歩場、貧窮開拓農民の逃避行、「欺(あざむ)かれた」小国民の長い戦い等々、様々なテーマが取り上げられている。満洲国とは決して一枚岩ではない、当時の日本の利益代表や有象無象(うぞうむぞう)の衆がせめぎあう土俵であった。この体制を安易に批判することが出来るのか、当時の国際情勢、国民の経済・教育レベルを斟酌(しんしゃく)し、将又現在の国力、国際的地位、民度と比較して、篤と考えるべきである。

加藤完治は戦後公職追放となったが、次第に名誉を回復し、昭和40年には皇居園遊会に農林業功績者として招待された。その翌年、小学生であった小生が目にしたのは人間として安定した、その晩年の姿であった。翌42年3月死去。戒名寶泉院殿鏡譽福田教道完治居士。享年83歳。

(註)
小生は、以前初対面の年長者と話すとき、加藤完治の名を以て「リトマス試験紙」とした。その結果、大正生れの故老であれば知らない人はいないこと、昭和初年生れであれば半数程度知り、それ以降の生れでは殆ど知らないことが判った。
参考図書 「満蒙開拓青少年義勇軍」、上笙一郎著、中公新書、1973年刊
     「加藤完治の世界-満洲開拓の軌跡」、中村薫著、不二出版、1984年刊

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

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by ayanokouji3 | 2005-06-10 12:19 | 自虐史観を斬る | Comments(0)  

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