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「何でも反対」の心理について

数え五十歳となるが、聖人孔子の教えにいう「不惑」の境地はおろか、「知天命」のレベルに未だ至っていない。他方、老子第十二章には「五色は人の目をして盲ならしめ、五音は人の耳をして聾ならしめ、五味は人の口をして爽(たが)はしむ。」とあるが、この意味は些かながらも理解出来たと思う。

凡そ人として生まれ出て、無為に人生を送ることは避けたいところではある。小生の場合、時折青春の鬱勃たる闘志が見え隠れするということは、意味ある人生を欲する証である一方、悟りには程遠いということであろう。

ところで、未だに「何でも反対」の心理が判らない。

住基ネット-よいではないか。個人情報は既に相当出回っている。登録されたようなものは金融機関等が把握しており、流出しているのではないか。私には秘密にしておく何物もない。

増税-よいではないか。高齢社会の現実化で、それなりの負担は覚悟している。いっそのこと、年金財源も全額税金でまかなうようにしてもらったら如何か。

郵政民営化-別に構わない。これ以上何を恐れるものがあるのだろうか。

かく看来れば、此世に反対すべき何物もなくなる。全てを受け入れ、心は晴れ晴れとしている。無我の境地-それが今の心境である。

「何でも反対」の心理は精神衛生上良くない。反対しても、無駄な抵抗と判ったとき、虚脱・無力感にさいなまれ、諦めの境地に入れず、ストレスにつながり、延いては癌等の重大疾患に罹る原因にもなるのではなかろうか。

尤も、そこまでの憂国の思いがあれば、天が一定の使命をその人に与えていることだろう。問題は、世に口舌の徒やエセ人道主義者の多きに堪えないことなのである。以て自戒の料といたしたい。

(註)
最近、各界親中派諸氏の発言に元気がないが、台湾問題に関し、彼等が台湾寄りの発言を始めるようなことになれば、台湾併呑の時期が近いと考えた方がよい。中国寄りの発言をしている間は却って台湾は安泰で、小生は「反対」しない。
以上のロジックを日台の読者各位に理解していただければ幸いです。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-19 20:27 | Comments(0)  

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