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家庭史研究の要諦について-3

「四海之内皆兄弟」、「人類皆兄弟」というのは正しい。併し、我々日本人は日本国という「国」に生活しているのであるから、他国に対しては国益が最優先のことであることを国民としてもっと自覚した方がよい。高齢者については殊(こと)に然(しか)りとなす。

孰(いず)れにせよ、家庭史研究と称し、地方の一小藩の中の数家の家系図や自分の父祖の歩みをまとめ得たとしても、全体を括(くく)ることの出来る普遍的データに帰着することはあり得ない。寧(むし)ろ、テーマを絞り、一つの家の例として一旦事実を極小化し、あるがままに描写した上で、その中に某(なにがし)かのエキスがあるのであれば、抽出して、普遍的データの一部となすことは可能である。

個々の事蹟を単純に列挙することはたやすいことであるが、それと日本近現代史との間に如何なる接点、つながりを見出すのかは、研究に取り組む者の分析・判断及び熱意にかかっている。

(註)
曾祖父の代より古い父祖の事蹟を明らかにし得ない場合、酷な言い方ではあるが、判らないものは不詳としてありのまま子孫に伝えるほかはない。また、かつて身分制度の埒外(らちがい)に置かれた階級の子孫については、様々な姿で社会に吸収された。今尚、過去の精神的残滓があることを看取する。これらの人々については資料が欠落している以上、家庭史研究の対象とはなり得ない。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:14 | Comments(0)  

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