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家庭史研究の要諦について-2

小生はかねてより、家庭史研究の一つの結論が万民同胞であり、血筋よりも精神の方が重要であることを主張して来た。

例えば、5代前に遡り、母系を含む全ての先祖(32名)の生没年、戒名、事蹟を知り得る日本人が全国に果たして幾人いるだろうか。また、養子の場合は生家の調査も必要となる。上記の経(たていと)の本数は先祖究明の充実に比例するが、それを家系図により完全究明したところで、別に血筋の確かさを示したことにはならない。即ち、家系図が捏造、改竄されていないとしても、その存在だけで直ちに全ての記述に信憑性ありとは認め難い(例-庶子、妾腹)。

また、例えば、自分の父祖に朝鮮人がいることを全く知らない日本人がいることだろう。次に、16世紀キリスト教布教時に来日した宣教師の血筋を享けた日本人がいる。更に、明治以降多数来日した西洋人の血筋をもった人達もいる。或いは、後裔でそれらのことを知らされていない人達もいることだろう。それこそ父祖の智恵かも知れないが、探求心のある人は調査しておくべきである。

身体的特徴(眼や肌の色、骨格)、性格(激情型)、言葉遣い(発音)や発想が一般の日本人と明らかに異なる人は、父祖若(も)しくは女系の血筋に異邦人の血筋が入っていると考えた方が自然である。学校生活に馴染めなかったり、所謂「バタ臭い」子供についても、親の育て方でそうなったのではなく、一般日本人とは相異なる血統が入っていること、「隔世遺伝」が発現していることを先ず疑い、本当にそうであれば、学校教師・地域社会はそれなりの配慮を行うべきである。

かく看来れば、家庭史研究とは、比較的新しい幕末よりの父祖の歩みを除いては、不確定なる部分もまた多い。家庭史研究の一つの結論が万民同胞であるとするのは、こうした理由からである。各家の父祖の訓えに上下優劣がないと説く理由も、またここに存している。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2005-05-16 19:13 | Comments(0)  

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