「勲章」について
岩波新書『勲章』(栗原俊雄著)は好著である。著者は昭和42年生まれの毎日新聞現役記者である。小生も五十代の半ばを過ぎ、朝日や毎日の言い分にも理解を示すだけの精神的余裕が漸(ようや)く芽生えて来た。
著者の私的関心は「勲章の歴史をたどることで、その日本国の本質が見えてくるのではないか」とすることに始まったという。慧眼(けいがん)である。
戦後の生存者叙勲の復活に奔走した人々の苦労は並々ならぬものがあったようであるが、思うに、勲章は貰える人は貰えば良いし、貰えない人は諦めれば済むことである。
平成15年の制度改革で等級区別が廃止されても、旧制度との比較は出来るものの、改革前、叙勲対象者からの等級を上げてほしいという申し入れが改革後はめっきり減ったというあたり、彼等(かれら)の人間らしさが垣間(かいま)見られる。
著者の私的関心は「勲章の歴史をたどることで、その日本国の本質が見えてくるのではないか」とすることに始まったという。慧眼(けいがん)である。
戦後の生存者叙勲の復活に奔走した人々の苦労は並々ならぬものがあったようであるが、思うに、勲章は貰える人は貰えば良いし、貰えない人は諦めれば済むことである。
平成15年の制度改革で等級区別が廃止されても、旧制度との比較は出来るものの、改革前、叙勲対象者からの等級を上げてほしいという申し入れが改革後はめっきり減ったというあたり、彼等(かれら)の人間らしさが垣間(かいま)見られる。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2011-05-06 21:45 | Comments(1)
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ayanokouji3 at 2011-05-06 22:57
日本の勲章のことではないが、1995年5月にテレサ・テン逝去の際、台湾政府よりの勲章の現物の等級が誤って一級低いものになっており、急いで差し替えられたという記事を当時香港で読み、台湾人のアバウトさに苦笑したことを覚えている。その頃、小生は台湾人と仕事上の付き合いがあったが、彼等に細かいミスを指摘すると謙虚に受け入れ、直ちに改善するという機敏さがあった。この機敏さは多くの日本人が見習わうべきことと考えていた。懐かしい思い出である。
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