若い外国人との交流について
五十半ばの高齢ともなってみれば、年配の日本人と話しても殆(ほとん)ど得るものはない。それは話が全て過去のことや常識的な事項に結びつくからである。
若い外国人(中・韓)の場合は、荒削りで、日本のことに疎(うと)く、危うい面もある一方、未知数の部分に期待感を抱くのである。
最近は自分で綴った中国語や韓国語の文章を彼等(かれら)に見せて感想を聞き、添削して貰うこととしている。日本人ならではの誤りに気付き、大変ためになっている。
この歳で語学に取組むこと、また、彼等との交流により、認知症予防への効果が聊(いささ)かでもあるのではないかと考えている。小事にかかずらうこともまた楽しからずや。
若い外国人(中・韓)の場合は、荒削りで、日本のことに疎(うと)く、危うい面もある一方、未知数の部分に期待感を抱くのである。
最近は自分で綴った中国語や韓国語の文章を彼等(かれら)に見せて感想を聞き、添削して貰うこととしている。日本人ならではの誤りに気付き、大変ためになっている。
この歳で語学に取組むこと、また、彼等との交流により、認知症予防への効果が聊(いささ)かでもあるのではないかと考えている。小事にかかずらうこともまた楽しからずや。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2011-02-21 21:44 | Comments(0)