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明石元二郎の鳥居復活について

 本日付朝日夕刊10面に、明石元二郎の墓の鳥居が日本人墓地であった林森公園に戻され、現地の日本人や台北市民の間で話題になっている、とある。1997年「鳥居は市内の別の公園に移され、明石の墓は台北郊外三芝にあらためて造られた」という。また、乃木大将の母親の墓にあった鳥居も、明石の鳥居の隣に移された。

 1928~35年に台北に在住した小生の親戚が1971年に記した台湾の思い出の中で、乃木・明石両大将に関するものは次の通りである。

 「乃木大将は在任中逝去せられたる母堂の墓を台北市内三板橋の墓地に営まれたり。(古川註-乃木大将は1896年11月9日着台、12月27日母堂マラリヤにより現地にて没) 大将夫妻の自刃後、その遺骨を請ひ頒(わ)けて、母堂の墓側に葬(ほうむ)りしは、台湾の民間人なり。其(そ)の民間人は乃木講を結成し、毎年9月12日夜は記念講演会を催し、13日自刃(じじん)当日は墓前祭を営(いとな)みて終戦時に及びたりと思ふ。尚、明石元二郎総督の墓も同地にありし。
 これらは陳軍進駐後、ブルドーザーにて一掃されてしまひし由(よし)。この事は、台湾の総鎮守たりし台湾神社が一掃せられて、其の趾(あと)には、旅館料理屋等が建てられたることと共に、衆知の事実にして、今に心ある台湾人の歎(なげ)きの種子となれること、人の知るところなり。今では蒋介石及び其の幕僚もさすがに悔いてをることと思はる。」

 明石元二郎の墓の上に住宅が建っていることをテレビ報道で小生が知ったのは、1990年代半ばのことであった。爾来十数年にして、明石元二郎と乃木大将の母堂の墓の鳥居が元の場所に移されたことは、上記の民間人同様、台湾人の日本人に対する好意の表われと素直に受け取って良いのだろう。

 これに関連し付言すれば、明石総督時に秘書官を勤めた鎌田正威という人の墓碑銘が台北の道路に横倒しになっていることを台湾人の連絡により2年前に知ったが、文章が殆(ほとん)ど読み取れることに、石碑を破壊せず放置していた台湾人のアバウトさと温(あたた)かさを感じたことであった。

古川 宏 FURUKAWA Hiroshi

by ayanokouji3 | 2010-12-27 23:39 | Comments(0)  

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