大和心について
日本人に生まれて来て、心が緊張し、または安らぐのは「大和」という言葉を目にしたり、耳にしたりするときである。
大和魂といえば緊張し、大和心といえば安らぐのは、「大和」に続くもので意味の違いを即座に感じ取るからである。
最近、知り合いの高齢者に「しきしまの大和の道を人問はば朝日に匂(にほ)ふ山桜花」と暗誦(あんしょう)したところ、本居宣長(もとおり-のりなが)の本歌であれば「大和の道」ではなく「大和心」だと指摘され、小生の全くの記憶違いであることを恥じた。
「朝日に匂ふ山桜花」の大和心を体現するには、馥郁(ふくいく)とした香りを漂わせる一方、淡白な味わいも必要である。大和心の涵養は死して後(のち)已(や)むと言うべし。
大和魂といえば緊張し、大和心といえば安らぐのは、「大和」に続くもので意味の違いを即座に感じ取るからである。
最近、知り合いの高齢者に「しきしまの大和の道を人問はば朝日に匂(にほ)ふ山桜花」と暗誦(あんしょう)したところ、本居宣長(もとおり-のりなが)の本歌であれば「大和の道」ではなく「大和心」だと指摘され、小生の全くの記憶違いであることを恥じた。
「朝日に匂ふ山桜花」の大和心を体現するには、馥郁(ふくいく)とした香りを漂わせる一方、淡白な味わいも必要である。大和心の涵養は死して後(のち)已(や)むと言うべし。
古川 宏 FURUKAWA Hiroshi
by ayanokouji3 | 2010-12-14 21:10 | Comments(0)